私たちが目指したもの
いったいあの規制強化は誰を守ったのだろうか?あるいは守ろうとしていたのだろうか?
巷間いわれているとおり、どの業界においても監督官庁が規制強化を打ち出した結果として、いくつかの財団法人や独立行政法人などの外郭団体が発生、天下りの受け入れ先になっている。この業界においてもそのようなシーンがあったのかもしれない。つまりお役人を守ろうとしていた、ということもいえるのかもしれない。しかしそれは今ここで問題にすべきテーマでは、ない。
多くの業界人は覚えているだろうか。
規制強化の波が確実になっていた頃の、ある種の空気を。
「この波には対応するしかない。しかし一方でいま私たちがうまく対応さえすれば、この業界は守られることになる。他業界や他国から容易に進出することのできない業界になるのだから。」
全国津々浦々の歯科商店営業マンが修理業の試験を受験し、管理医療機器の継続研修を受け続ける最大のモチベーションは、「ここでがんばったら、国が守ってくれる」という気持ちだったのではないだろうか。
はたして、国は業界を守ってくれているだろうか。その答えはいまここで述べるには時期尚早である。
たしかに業界は破壊されることは免れているが、しかし何ら新しい基軸が打ち出されることもなく、10年一昔のごとく、何も変化しないようにも見える。
いつの世も治世は「生かさず、殺さず」が大原則であることも歴史が教えてくれるとおりだ。おおかた、そのような展開になりつつある気がする。
一方で、ケルンで見たとおり、海外歯科事情はバブルともいえる活況を呈し、次々と新しい動きが錯綜している。
国内のそれを較べてみた時、はたして当時の業界戦略は正しかったのだろうか、と疑問に思うのである。
さらに・・・ホワイトニングやジルコニア、最新のインプラント技術やカリエス処置のテクノロジーなどが、国内規制強化の果てに5年10年の単位で販売できない現実が続いている。これをどう見ればよいのだろうか?
たとえば前歯の色調に不満を持った日本人の患者さんは、それだけのために360度、健康に機能する歯を削って、PFMクラウンを入れなければならない時代が続いていたのである。そのあいだ、海外では普通にホワイトニングだけで、歯を削らず、痛みもなく、より侵襲の少ない治療を受けることができたのにである。
本来、国民を守るための規制が、ことによると逆転してしまったのかもしれない。
この違和感をさてどうする
海外に出てみて、感じる国内への違和感。よく聞く話だ。
しかしそれは重要だ。いったん得てしまったモノの見方は、感じ方はじわじわと常識を浸食し、他人にまで感染する。
目の前の生活のために、思考停止し、ただ時流を受け入れるだけの数年間を僕らは過ごしてきた気がしてきた。
そうするよりほかなかったのかもしれない。
しかし、国の外ではそんな僕らにはお構いなしに、ダイナミックに時代が動いていたのである。
今回それを見てしまった。気づいてしまった。
さあどうする。
このままでは日本の歯科業界は、江戸時代のような鎖国に向かっていく気がする。キリスト教の布教を禁じるために鎖国した江戸幕府のごとく、中国製のユニットやアメリカ資本の通販を禁じるための鎖国。
たしかにそれで僕らの生活は安定するに違いない。だが、子供たちは。ひとりの患者としてそれは許されることなのか。
過去を振り返って責め立てることに興味はない。しかし、これからどうしたらよいのだろうか。それを考えなくてはいけない。
ケルンで違和感を持ってしまった。どうするかは、まだわからない。だがもっとたくさんの人と話をしてみて、この違和感をどうしたらよいのか、もう少し考えていきたい。そう思って、書いてみました。
私のこの妙なカンジを少しでも共有していただけたのであれば、幸いです。