でんたる銀次郎の「I Just Wanna Say "YEAH"」

No.8 2001.01.05_2
 「 君はバトルロワイアルを観たか」2-2

 それでは、ここで、この映画に対する賛否両論について、書かせてもらう。
この映画は、確かに残虐なシーンの連続だし、内容にコミック的な要素もあるので、そういったモノを嫌う人達には、嫌悪されやすいところもあるだろう。

 たとえば、殺すことを快感として生き延びようとする転校生に対し、私たちは、共感を覚える事は、難しい。
 しかし、そんなキャラクターに出会う事によって、自分の中にある残虐性に目覚め、犯罪に走ってしまうような少年少女がもし現れたら、それは問題だ。そして、その可能性を否定してしまう事は、おそらく誰にも出来ないだろう。

 ただ、それを恐れて、強制的に、何らかの対策を、政府に求めた国会議員の石井さんは、間違っていると私は思う。

 それはなぜかと言えば、この映画は、いい映画だからである。もしかしたら、かなりいい映画かもしれない。ひょっとしたら最高の映画かもしれない。 
   深作欣二監督は、あのスピルバーグが、「プライベート・ライアン」の戦闘シーンの中で使った手持ちカメラの手法を、30年ほど前に「仁義なき戦い」の中でもう既に取りいれていた。 この映画は、その深作監督が、私たちと私たちの子供の世代のために、作り贈ってくれた、儚くも悲しい、それでいて激しくも力強い「ラブストーリー」だと、わたしは確信しているからだ。
 



 この映画は、猟奇的で残酷ではあるが、より過剰な演出により、感受性豊かな世代に対し、「死」と言うものをリアルにとらえさせようとしている。そして、更に、中学生らしい恋愛エピソードを、これもまた過剰なほど、随所に描き込む事によって、「生」というものを、観客に意識させようとしているように思える。
 
 そして、観客である私たちは、最期に「悪の象徴」として位置付けられた転校生が、主人公達の手によって滅びゆく事で、これまでの悲惨な情景のすべてが浄化されていくようなすがすがしさを感じることができるのである。

 ラストシーンにおいて、二人の主人公は島を抜け出し、新たな逃亡をはじめる。そして、その手には何かを象徴するナイフが握られている。

 この映画の狙いは、実にシンプルである。人を傷付け亡き者としてしまう行為を、デフォルメしコミック化する事により、「死」のイメージを現実のものとして印象付け、それを見にきている少年少女達に、強い意志の基に、「俺達は、私たちは、これからどう生き抜いていくのか?」と、心に刻み込ませる事にある。

 今回は、いつにも増して「言いたい事」を書きなぐってしまったが、ここまでお付き合いくださってありがとうございました。
                     

 それでは、次回は、「技工料直接請求制は、われわれにとってのバトルロワイアルとなるだろう!」 の巻

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