でんたる銀次郎の「I Just Wanna Say "YEAH"」

No.8 2001.01.05
 「 君はバトルロワイアルを観たか」2-1

「バトルロワイアル」観てきたよ。どういうスタンスで語ればいいのか迷うけど、とにかくいい映画でした。
        

「ぜひ、うちの息子にも、見せてみたい。」

 これが、この映画を見終わったときの、15才の子供を持つ、親としての正直な気持ちでした。ただ、本音としては、「親から見に行けとは言えねえなあ。」と、いったところです。

 インターネットをやっているような人達は、時代に敏感だから、この映画について知っていると思うけど、ストーリーを簡単に説明させてもらうと、近未来政府の法案により、ある中学のひとつのクラス生徒全員が無人島に連れて行かれ、最後の一人になるまで殺し合わされる。というものだ。

 これだけの説明だとかなり猟奇的な殺伐とした映画を想像してしまうだろうが、それは、半分正しくて半分は間違っている。

 実際映画を見てみると、確かに猟奇的なシーンは多い。
しかし、それらのシーンは、リアルと言うよりデフォルメされている。
 たとえば、主人公に斧を振りかざし襲ってくる気弱そうなクラスメイトがいる。二人は争い、取っ組み合ううちに誤ってそのクラスメートの頭に斧が突き刺さってしまう。思わず主人公が、「大丈夫?」と、声をかけると、「ごめん、大丈夫」と、頭に斧が刺さっているにもかかわらず、謝りながら息絶える。死ぬ間際に、そんな言葉を口にするようなことはまずありえないだろう。しかし、中学生ぐらいの不安定な時期には、そんな矛盾した言葉も、不思議と似合ってしまう。
 これはデフォルメと言うより、コミック的ではあるが、そこには笑えない悲しさを感じてしまう。
      
 もう一つ、猟奇的なシーンとして、殺す事に快感を持つ転校生が、あえてここでは書かないが、何故そこまでしなければならないのかと思うような手段を使って、主人公が隠れる小屋に向かって手榴弾を投げ込むシーンがある。

 見る人によっては、意味のない残虐シーンだと感じるかもしれないが、そこまで描く事により、転校生の存在を、映画を見ている私達に、敵だと認識させる事が出来るのである。そう認識させるために、過激に過剰な演出がなされているのだ。我々が間違っても、彼に感情移入しないためにも。
 
 この映画の中で、はっきりと「悪」の存在として描かれているのは、この転校生だけで、他の生徒は生きるため、もしくは自らの弱さゆえに仲間を傷つけ、葬り去っていく。
 皆をこの戦場に送り込んだ担任のキタノさえも最期は善人であるかのように描かれている。
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