気がつけば2015年も最後の月に入ってました。3週連続の関西出張も今週で最後、珍しく妻と同行したので30年ぶりに学生気分満載の珍道中となりました。
2015年11月30日月曜日、早朝に目が覚めたので録画しておいたF1アブダビGPの録画を倍速でみて、ああ年末だなあとあらためて実感しながら9時から仕事開始。お昼は出張続きで近ごろあまり行けていないジムへ。午後からは年に一度のスケーリング。ネットでは漫画家の水木しげるが亡くなったとの話題でもちきり。小学校時代はゲゲゲの唄をみんなで合唱しては宿題のない世の中が来ないものかと本気で願ったものでした。宿題が辛かったのではなくまったく手をつけずに翌朝ぶん殴られるのが嫌で仕方なかったのです。それでもなぜか家では勉強しないと頑なにランドセルを封印していたのは今思えば何だったのでしょう。何かの妖怪にでも取り憑かれたんでしょうきっと。
2015年12月1日火曜日、なんと今日から師走。ここ最近の時間の速度ときたら。カメラを持って朝の散歩に出たら青空に白い月が浮かんでました。午前中は出張中に溜まっていた文書を大量処理してODMLにアップロード。以前は届いた文書をスキャン・OCRし(ここまでは妻の仕事)、それをサーバーにアップすれば良かったのですが、今はメーカーサイトに既にアップされているPDFがあるかどうかを確認し、もしあればダウンロードし必要に応じてOCRしたり整形圧縮してアップしたりしてますので以前よりちょっと時間を要するようになってます。また商品マスター関連付けもしますので週に何度かたっぷり時間を取って作業を行う感じです。
2015年12月2日水曜日、大量の睡眠をとったので大量に変な夢を見たのでした。今朝も近所を散歩。通勤のためバス停にスーツ姿が並んでいるのを横目に犬連れイヤフォン姿でカメラを握りしめている50歳はどこからみても通報対象者だろうなあと自覚しつつ、それでも日々少しずつ変わりゆく近所の景色に興味は尽きないのです。イヤフォンではたいてい前夜のニュース系Podcastを1.5倍速で聴いています。2005年くらいからずっといろんな番組を聴いているのですが、たぶんテレビニュースや新聞よりも僕の情報源になっていると思います。無料ですし。
仕事場では午前中今年最後のTo Do Listづくり。一人でいくつものプロジェクトを同時進行しているのでたまにガガガっと書き出してチェックしていかないと必ず忘れてしまうのです。そこが小学生だった僕とは違うところです、なんて。基本的にはEvernoteで管理してます。100行近い大作になったのでもうできあがった時点で全ての仕事が完了した気分になってしまいました。そんなわけないのに。
夜は昔から仲良くしてもらっている業界若手君を誘って二人忘年会。たまには現場の声も聞かないとボケてしまうから、なんて考えてたけど最後は例によって自説を演説してたようで反省。別れた後久しぶりに馴染みの店に立ち寄り、ビートルズ談義に花を咲かせたぶん何曲か演奏したような気もしますがそれもたちの悪い夢だったのかも。
2015年12月3日木曜日、早起きして妻と柴男とクルマに乗って一路、東へ。阿蘇山中を越えて2時間半ほど走ればそこは湯煙の上がる大分県別府市です。といってもリゾートにやってきたではなく、親戚の伯父さんの葬儀に参列しにきたのです。葬式とは僕の知らない他者の人生に触れる機会なのかなと思いました。式後は妻と軽く食事し、僕は歩いて以前から契約してもらっている会社に出かけて説明会を30分ほど。選挙の結果は立候補者が握手した数で決まる、なんて話を聞いたことがありますが僕の仕事も多分にそういう側面があって、実際に全国で使っている方と面と向かって会い、同じ空気を吸いながら10分でも20分でも話すことがものすごく重要なのだと最近実感しています。やってる内容はデジタルなのに恐ろしくアナログなのです。
別府を離れ福岡市まで2時間半ほど運転し、住吉にあるいつもお世話になっているペットホテルへ柴男社長を預け、そのまま僕らは福岡空港へ。これまたいつもの民間駐車場にクルマを預け、フライトより少し早めの時間に到着した僕らは空港のレストランでビールや餃子をつまみながら3時間ほど過ごすのでした。Jetstar機が関西国際空港に着地したのは22時近く、そこから南海電鉄で泉佐野駅下車、歩いてすぐのビジネスホテルにチェックインした頃には日付が変わる直前でした。僕にとっては3週間連続の関西。
2015年12月4日金曜日、妙に味のあるビジネスホテルの1階にはこれまた味のある喫茶店が営業していて僕らはモーニングセットとホットカフェオレを頼んだのですが、その横をジャージ姿の引退老人たちがスポーツ紙片手にタバコをふかすのです。嫌いではないのだなあ。てかむしろ安心する日本の未来像だ。「あんた昨日見かけへんかったなあ」「あたし昨日休みやってん」という客と店員との会話にも癒されるのでした。
さて僕らは京都へと阪急電車などで移動、お昼は妻が予約していた寺町三条のかに道楽へ。四半世紀前はこのすぐ近所で3年ほど働いていたのにこの店には来たことがなかった(たぶん)。個室での贅沢ランチ、つい飲み過ぎてしまいました。しかしぶっ倒れているわけにもいかず僕は途中で切り上げ1.6kmほど歩いて知恩院和順会館へ。所属している日本歯科企業協議会の例会へ。例会後友人らと知恩院の階段を駆け上がってみたけど今年は例年に比べて紅葉は今ひとつという感じ。それでも京都でしかみられない紅、黄、橙に僕の酩酊度はクールダウン。その後の講演会は僕も何冊か著書を読んだことのある著名人で、インテリジェンスについてあらためて整理できました。
料亭左阿彌で行われた忘年会では舞妓さんや芸子さんの踊りも満喫、会費1万円でリッチな京都体験。解散後はライブハウス磔磔まで歩き、そこで一人で盛り上がっていた妻と合流。既に知り合いを作っていたらしく僕らよりも年上のバンドが奏でるロック音楽を聴きながら焼酎お湯割りで乾杯してたらやっぱ僕にとっての京都っていったらこっちかなあ、なんて。
さてそろそろホテルへ移動せねば。今晩と明日の宿は右京区は平野神社前のクレサンテーム。そう僕らが通った立命館大学のすぐそばなのです。当時は女子寮ってイメージだったけどいまは安めのビジネスホテルという位置づけなのか僕でも泊まれるみたい。衣笠に泊まるのも30年ぶりってことか。
2015年12月5日土曜日、朝イチで奈良の顧客に訪問する約束しているので6時半には起きて7時のバスに乗らなければ。でも宿を出ると目の前をそのバスが走っていくのでした。Google先生によると次の便は15分後らしい。バス停につっ立ってるのも寒そうなので平野神社境内を歩いてみることに。学生時代、桜の季節に幾度となく狼藉を働いた場所です。あの頃は神様も大学も(先輩以外は)皆おおらかだったわけで、「新歓コンパ」なんて言葉が生きていたのですが、現在ではそのような単語は抹殺されたのだそうです。さて間もなくやってきた市バス50番に乗って京都駅へ。近鉄京都駅まで全力疾走しギリギリ特急に間に合って西大寺駅、そして尼ヶ辻駅下車、そこから1.2kmばかり歩いてユーザー事業所へ。わずか2週間ぶりの奈良歩き。
説明会を終えた後、何となくスマホで近所を検索したら平城京跡がすぐ近くだと表示されたので立ち寄ることに。たぶん学生時代、妻とドライブに来て以来だと思うので30年ぶり。あの頃は寒々しい平原だったはずだけど10年くらい前から復原工事が始まったのだとは朱雀門に立っていたボランティアガイドのおじさんの言。なんか面白そうなのでじっくり回ることに。復原事業情報館に寄ったあと第一次大極殿へ行くのが良い、とガイドさんが言うのでその通りにしたのですが大正解でした。情報館のガイドおじさんもなかなか博識で面白く、映像を見たり古代の建築ツールを触らせてもらったり。地元の人たちがいかに古代奈良を誇りにしているか、強烈に伝わりました。
近鉄、JR、京都市バスと乗り継いでクレサンテームに戻って来たのはまだ明るい時間だったのですがちょっと疲れていたので部屋で2時間ほど仮眠。妻は大学で行われている学部の創立50周年記念式典へ出かけてましたが僕は学部が違うのでゆっくりしました。日が暮れ始めたころ目が覚めたのであたりを歩いてみようかと少し着込んで外出すると素晴らしい夕焼け空とひこうき雲。大学の東門からキャンパス内を歩きそのまま昔住んでいた龍安寺商店街へ歩いているとたしかに新しい校舎も増えたし手書きの立て看も一掃されてるけどそれでも30年前とあまり変わらんもんだなあ、感じるわけででもよく考えたら2年前に来たばかりだからそりゃそうだよなと独りごちるのでした。
京都は北に上がるに従って標高が高い都市なので南に歩くのはとても楽なのです。気が付けば円町あたりまで歩いてました。妻はこのあたりに住んでいたので僕もそこそこ詳しいのです。当時この界隈ではほぼ唯一の存在だったコンビニの隣にはランボーという洒落た店名の書店があり、よく立ち読みさせてもらったのですが、「今月閉店」との表示が窓に貼られていました。思わず店内に入り1985年に発刊された(買った後で気づいた)文庫本を一冊買い求めながら店主と当時の話をしたり。
そろそろ宿に戻ろうかなとバスに乗って衣笠校前下車、そうだ何か食べておこうと近くの居酒屋のカウンターに座って料理を頼むと驚くほどの低価格メニューであります。そんなこんなでマスター夫妻と話が弾み気が付けば2時間半も飲んだ食ったしてました。3次会で合流しようぜと妻からLINE来たので会計して店を出ることに。金額は安かったのだけどなんと僕の財布はそれで空になってしまった。これから行く店は僕らの同級生がやってる下鴨のバーなのだけどタクシー代が無いのである。仕方がないのでバスを乗り継いでいくことにした(Suica使えるのだ)。もう完璧に学生気分。
開店準備中のドアを激しくノックすると同級生店主が驚いた顔をして「なんでお前がここにおんねん」。何の連絡も来てないらしい。おまけに彼もたしか50周年記念大会やってる学部の卒業生なのだがそれすら知らないという。学生か。無人のカウンターに座って「金はヨメが持ってくるはず」と伝えてバーボンを飲み始めたわけですが、妻とその同級生たちがやってきたのは実に2時間半後でした。きがつけば週末のお店は満員状態、ご常連さんたちと語らいながら開店当時の常連だった僕はご満悦。妻とそのクラスメイトがやってきた頃には完璧にできあがっておりましたがそこから飲み続けること数時間、午前3時にようやく一人2500円払ってタクシー呼んでもらって宿に転がり込んだ瞬間記憶を失う。
2015年12月6日日曜日、なぜか異常に早く目が覚めてしまって本を読んだりしていたけど完全二日酔いな妻は起き上がることができないようで。仕方がないので今朝も一人散歩にでかけることに。平野神社、北野天満宮、上七軒、千本釈迦堂と一時間半ほどカメラ片手に歩きました。朝日に輝く古い建物や紅葉に心震わせながらどうして4年間もこんな贅沢な土地に住んでいながら、昼起きてスタジオで練習してメンバーの下宿で酒飲んでるだけの生活しかできなかったのかとただひたすら呆れながら歩くしかありませんでした。今ごろ同じことを息子もやってるのでしょうが。
10時にクレサンテームをチェックアウト(といっても部屋の鍵を置いていくだけ)し、荷物をゴロゴロしながらふたりして登校、学生会館前に座って「さてこれからどうする?」なんて話してるうち、そうだジャンボでお好み焼き食べていこうってことに決定、一条通までゴロゴロ歩いていきました(南下は楽なのです)。当時僕らは安い金額で満腹になるジャンボにほぼ毎週通っていたのです(あの頃にダイエットなんて概念は存在していなかった)。お店に着いたときはまだ11時半くらいだったのですがすでに内外に長蛇の列。なんと店員さんも健在、メニューの金額もほとんど変わらず。焼きそばジャンボにミックス普通焼きというこれまた前回(たぶん29年前)と同じオーダープラス社会人らしく瓶ビールでもっていざ、と食べ始めてみたもののやはり胃袋は確実にその力を喪っていたようで残念ながら少しだけ残してしまった。でも俺たち頑張ったよな!と円町あたりまでまた南下。
伯楽町のバス停から四条烏丸、そこから阪急で淡路駅、天下茶屋、泉佐野と移動して木曜日の晩と同じ駅前のビジネスホテルへ。もうしばらく何も食べなくて良いよ、なんて言ってたわりには夜お腹空いてきたのでLONE STARという立ち呑みアメリカンバーで連日のバーボンソーダ、勢いでBBQスペアリブまで頼んでしまって軽々したら二人して財布が空になってしまいました。明日は早朝のJetstar便で福岡空港、そして熊本に戻って日常にも戻る予定です。
<今週読んだ本>
- 国際メディア情報戦 (講談社現代新書)
- 先週読んだ「戦争広告代理店」の著者が昨年出した本ということでKindleで読んでみた。
- 回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)
- 上にも書いたけど京都円町の書店で買った本。感想はリンク先に。
Takaaki Awazu
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