taka's original music...

  • 中3の時にはじめてギターを持って以来、テープレコーダーを2台重ねていろんな曲を作ってきました。
  • 結局25歳くらいまでそれは続いて、忙しさのあまりか、あるいはそういう能力が枯渇してしまったのか、いまではそういうこともしないのですが、そのままテープが腐っていくのもどうかな、と思って、Windows Media Player形式で保存してみることにしました。
  • また、大学時代は多重録音ができるテープレコーダをバイトして買い、あちこちのバンド仲間を集めていろんな曲を録音したりして遊んでました。
  • 恐らくは知らない素人の曲をわざわざ聞く人もいないと思うのですが、何かの縁で聞いた方がおられたら何か連絡くださると嬉しいです。
  • 気が向いたらちょっとずつ増やしていきます。基本的に順不同、思いつき順です。
  • wma形式ですので、MicroSoft社のWindows Media PlayerがインストールされたPCだったらストリーミング再生できると思います。28.8kbps以上の回線があれば大丈夫と思います。
  • MACユーザーの方はこれをダウンロードすると聞けると思います、多分。

im my life | E-mail
曲名
録音時期
コメント

Theme of Seikimatsu (byY.Kashima)
kasihma 作品

1986.10 いきなり他人が書いた曲ですが・・大学4回生の頃、軽音楽部有志にて文化祭荒らしをやろうと計画、当時流行っていた「おにゃんこクラブ」の曲をみんなで女装して演奏するということに。バンド名は性液間痛(せいきまつ)というふざけたもので・・
この曲はその時の1曲目のテーマということで、中でも一番変態のキーボード奏者が作曲、あとは学生会館の狭いブルグラ用の部室で録音しました。使用器材は僕の持っていたYamaha CMX-1という4chマルチトラックカセットレコーダー。
Dsはヘビメタ系よりIwa君、ベースは孤高のファンクベーシストNojiri君、ギターは僕と、ヘビメタ系よりKitamura君が参加。最初の方のいい加減なソロが僕です。リフ以外はその場のノリでアドリブでみんなテキトーに頑張ってました。今こうやって聞くとやっぱ80年代というより70年代の音ですね。僕はJeffBeckを気取ってました(^^ゞ
2001/10/06

Set Me Free

1985.3 大学3年に上がる直前、春休みで暇な下宿で一人で録音。英語の歌詞は超いい加減。当時はまだCMX-1を持っていなかったので、ラジカセとカセットデッキを交互にピンポン録音するという時代でした。双方の回転スピードが微妙に違うので、10回くらい録音を繰り返すと半音以上音程が上がっていました・・ドラムはカシオトーンの8beatをそのまま。Bassは確かギターのチューニングを下げて録音したかな。恥ずかしいですねやっぱ。
2001/10/06

Indochina

1986.4 CMXを買って嬉しくて、意味のない音楽をたくさん作っていた頃。m9のギターの響きだけでなんとなく録音したものに、中古レコード屋で買ってきたバリの音楽というLPを重ね、しかも、LPの回転数を手で弄って妙な風にしてみました。
2001/10/06

光と影(take1)

1985.5 これまたラジカセピンポン時代。連休で暇だったので、下宿で一人でバラードを作ってみた。当時付き合っていた彼女(今は妻ですが)が突然交通事故で入院してちょっと暗かったんですかね、きっと。ピンポン録音だと最初に入れたベースとかは最後の方ではほとんど聞こえなくなってました。この曲はCMXを買ったあと録音しなおしたのですが、このテイクもそれなりに良いのではないかと。。
2001/10/06

京都

1985.4 京都に住んでいる、という実感の無いままだらだらと過ごしていた学生時代だったが、1曲くらい、「外人の見た京都」みたいな曲をやってみっか、とギターを変則チューニングしてピンポン録音してみた。でもやっぱこういう曲でもぼくは弾きまくってしまうわけですね(笑)
2001/10/06

ハレー彗星観望の詩

1986.3 4回生に上がるちょっと前に76年ぶりにハレー彗星が回帰してきた、という天文イベントがあった。僕は5回生の先輩と2回生の可愛い女子後輩と3人で比叡山に深夜ハレー彗星を見に行き、京大生らが並べていた天体望遠鏡を覗かせてらったりした。ぼやーってなんだか分らない映像だったな。で、一人で下宿に戻ってそのもや〜という感じを録音。当時後輩から強制的に借りていたRoland JUNO60というアナログシンセでキングクリムゾンの世界を狙ったのだけど・・歌詞は常套手段ですが、マザーグースの英語を適当にあてています。
2001/10/06

ヒーマーラーヤー

1987.2 卒業旅行として87年1月から3週間ほどカルカッタからデリーまで貧乏旅行をした。
7kgも痩せて日本に帰ってきた後、なんとなくヒマラヤの山々(見たわけではない)を想起して作った曲。なんかキタロウみたいになってしまった。
2001/10/09

テクノ狩猟民族

1987.2 軽音楽部の先輩でジェラさんというプログレ系の金髪のアニキがいたのだが、彼と彼の自宅で泊り込んで作った曲を、後になって一人でリメイクしてみた。アフリカの狩猟民族がテクノ音楽で武装したようなイメージ。結局リズムパターン以外は全部書き直したけど、イメージはジェラさんそのもの。彼は今でも生きているのだろうか??
2001/10/09

Funky Bass Nojiri

1986.5 下宿に同郷の友人Nojiri君がベースを持ってやってきて、二人でセッションした曲。彼のベースは本当にカッコよくて、一緒にバンドをやる機会は無かったけど、なかなかこういうノリを出せる人はいないもんで、どうしても音源として残しておきたかったのでした。
2001/10/09

Bridge

1986.7 たまにはちゃんとした曲らしい曲でも作ってみるか、と思って、バラードを書いてみた。でもどうしても唄がネックなわけで、ボロ下宿で午前4時に熱唱するわけにも行かず、真夏に頭から毛布をかぶって録音したのを憶えている。でも下手だな。ドラムはRolandのTR505、シンセはヤマハのDX-100.お中元のバイトをして買いました。
2001/10/09

Sometime like the Kylyn
kasihma 作品

1986.8 どもどもKashimaです。変態きーぼーだーです。
大学の4回生の夏でした。就職も決まらないまま家にもいられず親の白い目に身がすくんでいた頃のことです。Awazu君はすでに就職を決め。っつーか、丁稚が決まり暇なのでこの年の夏合宿に隠居の身でありながらダラダラと参加していました。現実逃避するため急遽夏合宿への参加を決めた私を待っていたのは、今なら「DTM」とカッコ良く言えますが、当時はバンドで音楽をやるのが苦手(人間ぎらいとか自分勝手とも言いますが)な人の趣味だった、シンセによる多重録音に逃避していたAwazu君でした。そこで1時間ぐらいで考えて後輩のOkamoto(AltoSax)を脅してバラバラにセッションしたのがこの曲です。当時、フュージョン(涙)が全盛で渡辺香津実とウェザーリポートを足して、90%ぐらい捨てたみたいな曲をイメージして作ったら、安いブレッカー・ブラザースのようになりました。AltoSax、ギターは本物の音ですが、ベースは私がジャコ・パストリアスをイメージして手弾きしました。でも音がモコモコして入れ歯の無い坊主のお経のようです。ドラムは機械です。まだプログラムの打ち方に慣れていなかったので、オカズは手で入れる。という涙を誘うようなサウンドになりました。1970年始めならプロでデビューできたかもしれない曲です。(ウソウソ)(by Kashima from Nagoya)
2001/10/16

Beckin' Station!
kasihma 作品

1986.8 新日本プロレスの「次期シリーズ紹介」みたいな時にバックで流れる曲がかっこよくて、誰のかなあ?と思っていたらAwazu君に借りたJeff Beckの「There and Back」に入っていた曲でした。シンセのゴモゴモしたリフにヤン・ハマーとベックがどっちがどっちだかわからない音でソロ合戦する。というおきまり曲で、当然ドラムもヤン・ハマーです。で、Awazu君にこの曲のイメージでやりたい。と大学4回生の夏合宿でお願いし、5分ぐらい考えて作りました。シーケンサーが無いのでリフはぜ〜んぶ私が手弾きした。という出来上がりの割に思い出だけは深い(不快)曲でもあります。Awazu君と私のソロ合戦は言い訳するわけではなく、言い訳するんですが、ミニキーボードで弾いたので音もリズムも外しまくり。私に不利なソロ合戦でした。これもドラムのおかずは手で入れており、ところどころ中坊の鼓笛隊のようですが、ジミヘンの時代のドラムってこんなおかず結構ありますよねえ?トニー・ウィリアムスぱくって失敗したんでしょうね。(by Kashima from Nagoya)
2001/10/16

It's mo Haka wa 3
kasihma 作品

1986.10 これは「いつも墓は三つ」と読みます。ラフカディオ・ハーンのエッセイに出てきます。非常に感銘を受けました。ってのは嘘であんまり考えは深くありません。この曲、実は大学1回生の時に組んでたバンドのために作曲しました。当時、関西で活躍(しようと)していた羅麗若(ラレイニャと読みます。夜にバイクで大きな音を出して走っている方々ではありません)というフュージョン・バンドをライブで聴き、変拍子に目覚めたのでバンドのメンバーに変態扱いされながらやらせた甘酸っぱい思い出のある曲です。当時、部ではだ〜れもこんな曲はしないので、みんなボーっと聴いていた。というか誰も多分、何も感じなかったと思います。今、聴き返すとやっぱり若造の世迷言のような曲ですね。次行きましょう。ちなみにシンセはKashima、ギターはAwazu君、ベースは当時バンドメンバーだったNojiri君。ドラムは機械です。どうしてもこの曲はデジタルで残したくて、ある日突然楽譜を書いてAwazu君の下宿に押しかけ、無理矢理Awazu君とNojiri君に30分ぐらいでマスターさせてドラムのプログラムは1時間ぐらいかけて打ちこみ(これが一番手間がかかっている。という本末転倒な曲でもあります。)、一晩で録音しました。実は最初のヴァージョンではAwazu君のギターの間奏がリズムを大きく外していたのですが、録音を終えてNojiri君の下宿で飲んでいたらAwazu君がTelをしてきて、「今、録り直した。聴いてくれ!」と言って、Tel口にスピーカーを当てて聴かせたのが今のヴァージョンのものです。「リズムがたがた」だったのが恥ずかしかったんでしょうねえ。彼の意地のこもった渾身の(わはは)演奏をどうぞ!(by Kashima from Nagoya)
2001/10/16

It's a Show Time!
kasihma 作品

1987.2 後輩がチック・コリアのエレクトリック・バンドのCDを持ってきました。その中の「ランブル」という曲がめちゃくちゃカッコ良く、コードだけぱくって似たような曲できないかなあ?と軽く考えたら100万光年ぐらい離れた曲になりました(涙)。Awazu君の哀れみを込めたような視線に耐えられず(涙涙)、最後のコードをエフェクターを最大限にかけ「ごわぅぃぃ〜ん」という効果音みたくして(みんな泣け!)、やけくそぶりを見せつけました。できれば私のディスコ・グラフィーから削除したい曲ですが、まぁ、だからどうだって感じっすかねえ・・・。(by Kashima from Nagoya)
2001/10/16

eno87

1987.11 ここからはまたtakaです。この曲はたしか卒業後、新しく引っ越したアパートで楽器を部屋中に広げて、なんとなくBrian Enoを気取って録音したもの。シンセにデジタルディレイを掛けておいて、ギターと声を適当に入れただけのもの。ENOの曲を知ってる人が聞いたらネタバレで恥ずかしい曲です。それでもだんだん後半に行くに従っていつものようにギターがエキサイトしてしまうのです・・・
2001/10/20

LINE

1987.5 大学卒業後しばらくの間だけ、とある工場のラインで働いていました。そこは今まで違って恐ろしく時間の流れるのが遅い、気の遠くなるような日常と付き合っていまして、直前までインド旅行ですっかり労働意識がマイナスになっていた僕にはけっこう滅入る体験でした。
その工場の寮に楽器を持ち込んでいた僕は、そんな工場のラインが鬱々と流れる雰囲気を曲にしてみました。暗い曲ですな。
2001/10/20

Fushimi

1987.5 その寮には熊本出身で関大軽音卒の同僚がいて、彼は僕の部屋に酒を持って遊びに来てはギターを弾きまくったりしていたのですが、そんな彼に多重録音ってこうやってやるんだよ、とデモした時に出来た曲。こんなに短い曲を仕上げるのに3時間くらい掛かるわけで、ようやく完成した深夜、当然部屋には僕しかいませんでしたな。
2001/10/20

君が僕を忘れていく

1987.6 工場は土日はきっちり休みで、休日に4階の窓から見える京阪電車を見ながら即席ラーメンをすすりつつ、ビールを煽って、どうして人生はこんなにもつまらんのか、とJohn Lennonの「ジョンの魂」を聞いていたら、一つのキーワードを延々繰り返すだけで、それでいて激しい曲を作らねば、と思ってほぼ即興で録音した。Vocalは変調させたりいろんなエフェクトを掛けて気持ち悪くなりました。
2001/10/20

回廊

1986.6 ここからしばらく「うふふ」をお楽しみください。「うふふ」は立命館大学軽音楽部ロック系バンドの異端児として1983年から1986年まで存在したオリジナルポップスバンド。ほとんどの曲はボーカルのSuga Shingo氏によって生み出された。後世有名になるスガシカオとは非常に名前も声質もへたすると曲調も似ているが残念ながらまったくの別人。本人はいまや鹿児島でただのオッサンになっている(涙
この曲は後期うふふの代表曲の一つで、僕のリードギターとNakajima氏のアダルトサックスのハモリでリフが演奏されるハッピーな雰囲気のもの。月例コンサートの後、バンドメンバーとFunky Nojiri氏だけがステージに残り、彼のレコーディングで一発取りしたもの。
2001/10/20

アーニャ

1986.6 スガ氏は僕の一つ上の先輩で(いや年齢はもっと上か)、人生経験は豊富なのか、どうしてこういう曲を書いてしまうのだろう、と疑問に思いつつクリスマスシーズンでもないのにこのイントロを奏でるのであった。数多いうふふオリジナルの中で、takaの絶叫ギターソロが入らない珍しい曲でもある。BassのK.Kugita氏の一生に一度のチョッパー奏法聞けるという貴重な曲でもある。
2001/10/20

京見峠の子守唄

1986.6 うふふには珍しく(でもないか)ディストーションの効いたハードロックであるこの曲はライブ(主に拾得)では仲間内で(のみ)盛り上がる名曲であった。鳥肌が立つほど厭らしい自分のソロが今や懐かしい。京見峠というのは京都の町が一望できる北区の山中にある知る人ぞ知るポイント。おそらくはスガ氏が愛車(中古軽自動車)でどこぞの誰かと行った時に、なんらかのブレイクハートがあったんでしょ、そんな感じのする曲。
Vocalのハモリはアダルトサックス担当のNakajima氏。
2001/10/20

ピノキオ

1986.6 打って変わって暢気な曲調。当時みんなのアイドルであったJJとかいうギャルバン(女の子だけのバンド)のためにスガ氏が書き下ろし、見事不採用になったのでうふふで演奏していた名曲である。おそらくは大貫妙子さんあたりの雰囲気を目指したのでありましょう、でも彼が歌うと物凄い色気を醸し出してしまい、その毒気を消すために、みんな慣れないテクニックを使って小技の効いた演奏を心がけておりました。ちなみにうふふのDrumsのukaさん、BassのKugitaさんはまったく楽器を触ったことも無くて、うふふ結成後に練習を始めたというフレッシュな方でした。それくらい才能に溢れていた二人だったのかもしれません。ということで、最後は終わり方を間違って笑い声まで入るサービスぶり。
2001/10/20

純粋理性批判

1986.6 Kugita氏の作詞による難しい題名の曲。僕はこの曲はすごく好きで、地味だけど何だったら20分くらい演奏したろか、と聴衆を脅迫したくなるような心情に襲われることもしばしばであった。右側から聞こえる僕のギターは自分でも言うのもなんだけど、けっこう良くないっすか?このころからずっとESPのテレキャスを愛用してます。当時のテクノ、ヘビメタ、フュージョン以外のバンドなど絶滅したも同然の環境の中で、こういう雰囲気で日本語で歌うバンドは非常に珍しかったと思う。
2001/10/20

おあいそ

1986.6 ライブの終わりに必ず演奏していた曲。Saxとギターでハモル、という定番アレンジを初めて取り入れた曲である。最後のほうではsaxとvoもハモったりしている。曲中のスネアがとても素敵。僕はここでは高校時代から使っているグレコのオールドストラトを引いているのだが、残念ながらちょっとチューニングが・・それも曲中でだんだん下がっていくというオールドぶりである。そしてなんとsolo引きながらチューニングまでしています、僕は。ということでしょぼいソロ。。
2001/10/20

アザレア

1985.2 さて、ここからはうふふのライブ音源。僕らはたびたび京都の拾得というライブハウスで演奏をしていました。この演奏はたしか2回目か3回目のライブで、京都の2月、すごく寒い日の演奏だったことを覚えています。録音はRecordingWalkmanで客席から録ったもので、ただ反省のために録音しただけなのですが、まさか16年後にネット音源になろうとは。
この曲はうふふとしては2曲目のオリジナルで、83年の夏からずっと演奏していた曲。ちなみにこのときの演奏は確かドラムのUkaさんが急に出られなくなり、僕のもうひとつのバンドのOkamoto君が急きょ代打で出場したものだったと思います。
2001/10/29

純粋理性批判(live)

1985.2 先ほど登場の純粋理性批判スタジオバージョンとは違い、こちらは拾得ライブ版。ドラムが代わってるのと、緊張からか少しテンポが速くなっています。途中から拾得のオーナー、テリーさんがVoに思いっきりディレイを掛けてくれて、なんだかダブっぽい雰囲気になってて、演奏している方も気持ちが良かった。
2001/10/29

Bad Times Bad Dreams

1985.2 不気味なコーラスから始まる迷曲。もちろん題名はかのZEPのデビューアルバム1曲目のもじりなわけで。4人のコーラスが妙に合わずにそれが良い味を・・・出してないか。1985年、京都は拾得の雰囲気をお楽しみください。
2001/10/29

素直になれなくて

1985.2 記念すべきうふふのデビュー作品にて最大のヒット曲(?)、当時の軽音の誰もがつい口ずさんでしまって、恥ずかしい思いをした名曲の登場です。うふふは1983年の広島合宿においてこの曲で衝撃的デビューを図ったのでした。まさか軽音ロック系でこのような歌謡曲が演奏されようとは・・・しかし、この拾得でのアンコール演奏を最後にこの曲が演奏されることは無かったのでした。いったい何がSuga氏を変えたのでしょうか。その後彼は何故かFunk Vocalistとして突っ走ったりもしたのですが・・・
この演奏中、いきなり「針飛び」が起こるのは、誰かテープを一部消してしまったせいですスミマセン。ところで誰かこの曲のもうちょっと完全なテイクもってませんか?
2001/10/29

Will You Dance with Me?

1983.3 ここでまたtakaの自宅録音に戻ります。今回は初登場の高校生の頃の作品。高校3年の卒業間際に暇に明かせて作った曲です。当時MTRなんて無かったので当然ピンポン録音です。かっこつけて英語で歌詞を書いたりしてました。発音は情けなくなるほど日本語なんですが・・・
楽器はカシオトーンとそれについているリズムボックス、YamahaのCS-15Dというモノシンセ(バンドのキーボードからから半年くらい借りてた)でBass音を弾いて、グレコのストラトでバックやリードを弾いてます。
ところでこの曲は「うふふ」のラストライブで拾得で僕がシンセとギターを弾きながら歌ったのですが、憶えている人いるかな?
2001/10/29

The Girl in my Mind

1983.2 これも高校3年の2月頃、受験も一段落し、自動車学校にいってた頃に録音したもの。英語として非常におかしな表現ですが、まあそれでも良かったのです、この頃は。この曲のギターソロはぶっつけにしちゃよくできたな、と思います。ちょっとBeatlesを意識してました。
2001/10/29

I Missed You

1983.2 同じ頃、続けて作った曲。カシオトーンに入っている16beatっぽいリズムパターンがこんなのしかなくて、なんとなく面白い曲調になってしまった。ちょっと高橋ユキヒロっぽいVocalになっているのは当時聞き込んでいたためです。それにしても何曲作ってもどうしてもヒットするような感じにならないのはどうしてなんだろ?と悩んだりもしてたのですが、今思えばそんな簡単に売れる曲ができる訳無いじゃん、わしに、ってなところです。
2001/10/29

Dancing Dall

1982.3 もっとさかのぼって高校2年くらいの録音です。当時後輩から借りてた手作りのエレキギターってのが家に置いてあり、いつも使っているグレコとの音色の違いを試したくて、二人でソロを弾くような感じ、で録音しようと。当時はこれをネタにしてちゃんとしたバンドの曲にしようと思っていたのですが、その頃やっていたバンドはここまで重たい音色は出せませんでした。我ながらHardな音です・・・ところでこの曲のドラムですが、部屋に座布団を敷いて、それをスティックで叩き、その音をマイクで拾ったものです。まさに貧者のロックンロール。
2001/10/29





Totalトータルカウントsince2001/10/10 yesterday昨日の訪問者数 today  本日の訪問者数