no.14 1999/11/13

京都

 いま、仕事で京都に来ている。久しぶりに来ている。
 僕の家系はもともと京都にあったそうだ。実際、免許を取得した頃の本籍地は京都市左京区だった。名字を調べると滋賀県あたりに多い名前らしい。いずれにしろこのあたりで一族が生きてきたことはまちがいない。だからどうだ、ということもないのだけど、僕はこの街が気に入っている。


 高校を出て、すぐこの街に来た。地方出身の大学生として4年間、右京区の下宿で、80年代初期にありがちな一人暮らしを送ったものだ。六畳一間の部屋に夜な夜な友人らが集まり、安ウイスキーの空き瓶が転がり、煙草の煙が洗濯物の間を揺らめいていた。当然パソコンも電話も無く、聞えるのは隣の部屋の安っぽいフォークギターと、隣家に下宿しているらしいガイジンさんの下手な日本語くらいだった。

 夜になったら友人たちと酔っ払ってぶらぶらと散歩に出たりした。竜安寺の池に無断侵入し、星を眺めたりしていた。これから人生が無限に続くと感じていたし、反面、随分と長く生きてきた気もしていた。ネクタイや革靴と無縁な生活を謳歌していたものだ。

 卒業後、僕は京都の会社に職を求め、工場のラインから外回りのルートセールスなどを3年ほどやってみた。その頃から、「この街は京都なんだ」と意識するようになった。それまではどちらかというと大学が中心で、たまたま京都にいる、というくらいの感覚でしかなかったのだ。
営業を経験する中で、言葉の問題を感じ、京都弁とやらを使ってみたりした。民家の中にまで入る機会が多くなり、京都家屋の特徴を感じるようになった。京都人独特の作法や考え方に接し、商売を通じてこの街での生き方を模索しながらあっという間に時が過ぎていった。

 学生の頃から神社仏閣を巡る機会は結構あった。自分自身で回ったというよりも、高校時代の友人や家族親戚などが上洛した際にしたり顔で案内役を買って出た、というのが真実だ。おりしも拝観拒否なんて問題が起こっていた時期でもあって、駆け込み観光が盛んだったし、ちょうど日本経済がバブルに突入し、何をするにも結構高い金額が必要になってきたりして、スポンサーがついての観光気分は貧乏独身男には都合が良かったのだ。
 高校で日本史を選択しなかったものだから未だにその方面の知識が少ない。中学の教科書レベルで平安時代から室町時代の時代背景を思い出しながら名も無い仏像を見て歩くのが好きだった。あまり有名でないお寺の片隅に立っている杉の木を見ながら、お前すべてを知ってるんだろう、と尋問してみたりした。

 京都は回りを山に囲まれているので、10分も車に乗ると結構な山の中に分け入ることができる。営業中に息抜きに、と北山杉の林道を駆け上り、そのまま夜景を楽しんでしまったこともある。携帯電話なんか無かったからできたことである。エンジンを切ると、ひんやりとした空気が忍び込み、しん、とした静寂に耳を澄ましていると微かに街のノイズが這い登って来た。だんだんと暗くなり、灯かりが点りはじめると、京都の碁盤の目が浮き上ってくる。街の中に点在するお寺や小山のところ、そして長方形の御所が真っ黒い暗黒星雲みたいにアクセントを入れて、京都の出来上がりだ。

 京都に7年間住んだところで、実家での仕事に呼び戻されてこの街を離れた。
なんだか特に感慨も無かった。またすぐ来れるさ、という気軽さがあった。実際今でも年に1,2度は仕事関係で訪れる。もっとも、あの頃のような気軽な雰囲気でブラブラ、という時間はなかなか作れないものだ。
だがしかし、この街についた瞬間、言いようの無い安堵感と軽い興奮を思い出してしまう。
もしかしたら先祖代代のそんな血が流れているのかもしれない。

 でも多分違う。
若い頃に感じていた「このまま永遠に生き続けるのではないか」という誤解と、実際に長く生き続けているこの街との波長がそうさせているような気がする。年を取るということは一歩一歩死に近づいていくことだ、と言った音楽家がいたが、この街に来るとそういうことを忘れさせてくれる。

 だれにでもそういう場所があるのだろう。僕の場合は、それが京都なのだ。
この街は若い頃にちょこっとだけ住んでみたものだけが知っている、独特な表情がある。
つくづく、面白いと思う。
さあ、今日は少しこの街を歩いてみよう。

TAKA
199年11月13日
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