no.13 1999/10/01

システムのコントロール、人間のコントロール

~大林宣彦監督に聞きたい~

 九州にお住まいの方しか分からないかもしれないが、最近の九州電力のテレビCFに次のようなものがある。
大林宣彦映画監督が「原子力発電所に働く人たちも僕らと同じ人間。人間が一生懸命目を輝かせて日夜働いているので安全が確保されています」という内容である。テレビばかりでなく、ラジオでも結構頻繁に流れている。おそらく九州電力以外の電力会社も同じような内容でCFを展開しているのだろうと思う。

 普通に考えると、このCFの企画段階ではおそらく、「巨大システムというと非人間的な感じがして、それが感情的な原発反対運動に繋がっているのだろう、それだったら人間臭い原発の側面をPRすることで彼らの感情を押さえる事ができるに違いない」的なコンセプトが唱えられた、ということであろう。その上でそのナレーション役に、若者に人気がありヒューマンタッチの作品を多く作っている大林氏に依頼した、という事だろうか。

 ここで原発の是非は敢えて問わない。このようなスペースで語り尽くせることでもなかろうし、正直言って私自身も明確な答えを持てずにいる(少なくとも99年9月30日までは、だが)。


 さて、大林氏のナレーションは次のように告白している、と解釈できないだろうか。
原子力発電所は我々と同じ人間が日夜目を光らしていないと、まだ正常に機能しないレベルのシステムです」。
すなわち、原子力発電所というシステムそのものが未完成で危ういものである、ということを認めてしまっているのである。
そしてその上で「でも僕らと同じ人間が頑張っているから安心です」と続けている。
つまり彼はシステムよりも人間を信じている(彼の作品と同じように)。
人間はエラーを起こさない完璧な神様だと信じているかのように。

 これは我々の体でいえば、「いつも心臓のことを考え、イチ、ニ、と声をかけながら筋肉を動かしていないと心臓なんか信用できない。でも俺は一日中起きてそれを実行し続けているから大丈夫だ」と言っているようなものだ。

 しかし、現実には彼の言う通りでなのであろう。人間のこしらえたシステムはたとえ原子力技術であろうが、未完成のものでしかない。それは現実には人間がフォローしながらでないと、まだまだおっかなくて使い物にならないシロモノに違いない。
 これが命に関わらない、たとえばお菓子の流通、などという問題であれば、誰もが納得できる。
しかし、数百年以上にわたって広い地域に甚大な生命の危険、種の存続の危険を与えるかもしれない問題において、それはないだろう、というのが正直な感想である。私たちの子孫を原発職員の「努力」に一存することは到底できない。
 いくら素晴らしい燃費と排ガス性能を持ち、ものすごい性能を発揮する原子力自動車ができようとも、一旦整備ミスをしたが故に半径10kmが吹き飛ぶような技術は誰も採用しないだろう。その整備をする人間がいかに素晴らしい笑顔で働いていようともだ。


 このCFの抱えるもうひとつの問題点も指摘しておきたい。最初からそういう思惑があったかどうかは別として、国民が日常的にこのようなCFを見続けることによって、どのような意識が形成されてくるか、である。

 我々は大林監督のナレーションをテレビ、ラジオで聞き続けることで、「原発はいつかはヒューマンエラーによって事故を起こしますよ」と静かに情報を受け取っているのではなかろうか。
つまり、「システムは完璧じゃないですよ、だから事故も起こすこともありますよ。でも事故を起こしたのは同じ人間なんです。我々と同じように目を輝かせてスポーツに励む気の良い青年達なんですよ」というメッセージをも受け取ってしまっている気がするのだ。


 そして今回の東海村の放射線汚染事故である(原発ではないが、原発関連産業の事故である)。
これを書いている時点(99年10月1日)では、まだ正確な原因は究明できていないが、情報をあわせ読むと、どうやらヒューマンエラーらしい。システムでは防ぎきれない類のミスを作業員が犯したことで、このようなアジアでも最悪の事故を引起してしまった。

 大林監督式に言うと、「同じ人間である」作業員は、たまたま何か悩みを抱えていたり、体調が悪かった、ということなのだろうか。
しかし、普通の状態で「それじゃ仕方が無いな」といったい誰が納得するというのだろうか?
これがこの国でなければ明日からでも原子力に関する一大反対ムーブメントが巻き起こり、1年以内にすべての原発を破棄する法律が可決されるところだろう。

 しかし、おそらくそうはならない。
マスコミも、国民も、地域住民も、「人がすることだから」と納得をし始め、「それでも電気はやっぱり無いと困るからね」と理解をし始め、数年内に新しい原発の建設が承認されたりすることになるのだろう。


 ここで大林監督に問いたい。
あなたの出ているCFは、このような事故を起こした際に人々の感情を権力側に都合の良いようにコントロールする役割を果たしているのではないでしょうか?そうでないとしても、システムが内包する欠陥を「人間臭さ」というお門違いのフィルターでくるんで、国民の生理的な感覚を狂わせているのではないでしょうか?

 数多くの名作を作られ、今や私たちの世代にとっても大きな影響力をもつあなたが、どのようなお考えをもってこの事件に対処されるのかを、私は興味以上の関心を持って見届けたい、と思う。


 我々は、常にニュートラルな情報を得て、正しいと判断した信念を持つ権利があるはずだ。妙な色の着いた情報を発信する者を選別していく力を、そろそろ僕らは備え始めていることを忘れてはならないと思う。

 最後に、10月4日時点での追加である。事故を起こした作業員はドシロウトに等しい人々だったそうだ。
この国の住民は、アルバイトの青年が操縦するジャンボジェット機に乗っている状態らしい。
それでもまだ誰も本気で怒らないのだろうか?

TAKA
1999年10月1日
10月4日加筆訂正
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