no.12 1999/09/05

title:全開で行こうぜ!

 言っても暴走族の話では無い。通勤の話である。
地球温暖化やアレルギーなど様々な問題の原因の一つとして非難されているクルマの排気ガスであるが、僕の世代はそのガスの匂いと共に育ってきた。ガキの頃は、街中が有鉛ガソリンの匂いで充満していたし、修学旅行などではバスのディーゼルガスで気分を悪くしては吐きまくる奴が続出したりしていた。またフェリーに乗れば真っ黒な排気ガスが船内にこもり、船酔いとあいまってこれまた気分を悪くしたりもしていた。排気ガスのあの匂いは高度成長のシンボルですらあったように思う。

 の排気ガスもやはりカラダと地球に良くない。少しでも少なくするべきだろう。そうは思ってもクルマの便利さから離れることは困難である。実際に僕は通勤や何やで1日100km以上はクルマを運転しているのわけだし。交通事情の関係で公共交通機関を利用することはほぼ不可能だし、まさか自転車で、というわけにもいくまい。そこで、クルマに乗りながら、少しでも排気ガスを少なくする事はできないか、とある日考えた。

 ず、良く言われるアイドリングストップだろう。でもこれは季節を選ぶ。真夏と真冬ではいくらなんでも難しい。何かの本で読んだが、あまり短時間の停止でいちいちエンジンを停めていたら、逆効果にすらなるという。だったらエンジン停止後エアコンの効力が失せるまでの時間くらいのエンジンストップは意味が無いと言うことだろう。したがってこれは工事中か何かで信号機に残り時間が時計表示がされている場合以外は不採用となった。
 次はエアコンを使用しないことだ。もっとも暖房に関してはあれはエンジンの熱を室内に入れているだけだから、排気ガスや燃費とは関係ない。とすると問題は夏の冷房だ。ネクタイ族にとって、真夏に冷房を切るのは、辛すぎる。しかし、良く考えてみると、通勤は早朝と深夜なのである、僕の場合。ということは、余程暑い真夏か、あるいは雨でも降っていない限りエアコンを切って窓全開で行けばよろしい、ということになりはしないか。ということで今年の夏から僕の朝晩の全開走行が始った、という次第である。

 を出るのは7時半頃である。この時間であれば九州の真夏の時期であってもそう暑くはない。お盆を過ぎるともう涼しいくらいだ。ぐーたらの僕は起きて新聞2紙を斜め読みしながら朝飯を掻き込み、ほどんど身繕いしない状態で車に乗り込む。髪も髭もボウボウである。近所の奥さんはきっと恐ろしくて声も掛けられないであろう。バックギアで車庫から出して、7年目、11万キロを走行した僕のホンダ車は異常に調子の良いDOHCエンジンをぶん回して走り出すのである。最近ではハンドルの表面はぼろぼろになり、車の四隅にはキズが刻印され、塗装のあちこちに綻びが見え始めてきたのだが、それでもホンダ車の常でエンジン回りだけはすこぶる快調である。ギュイーンと6200回転まで引っ張ってあっというまにいつもの115km(メーター読み)にでクルージングとなる。ここから約30分の通勤だ。

 を出た時から4つの窓とついでに購入時に頼み込んで装着したサンルーフも全開である。これで高速走行をすると見事に僕の頭はオールバックとなり、車内のティッシュペーパーの箱からは勝手にティッシュが飛び出してそこら中を蝶のように舞い蜂のように刺す(?)ことになる。カーオーディオももう役に立たない。聞えないのだ。次の瞬間、僕は大胆にも電気シェーバーを取り出し、5分くらい掛けてゆっくりと髭を剃り始める。その後はおもむろに歯ブラシを取り出してブラッシングし、歯間ブラシで仕上げをし、最後にアフターシェイブローションをドアポケットから取り出してスキッとするわけだ。こうやって考えるとアブねえよなあ。

 て車を走らせて10分もしてくると次第に空気が変わってくることに気がつく。
家を出る頃は明らかに「早朝」の空気だったのに、8時を回る頃になるともうそれは「朝」の空気になっているのだ。
どう違うか、とひとことでは難しいのだが、何となく草木の香りが減って人や車の匂いがしてくるのだ。人間の活動していない時間帯には草木の香り、すなわち地球そのものの香りが空気を支配している。だがしかし太陽が昇り、人々が家を出て会社や学校に向かい始めると明らかに地球の香りは山や海に追いやられていくのだ。時速100kmでそんなことを考える。

 型トラックに近づいてきた。ディーゼルエンジン10気筒が唸っている。この匂いが修学旅行の時の大型バスを思い出させるのはさっき書いた通りだ。そんなこと考えていると、12歳の僕が運転している気分になる。アクセルを踏んで軽々と追い越すと今度は右カーブだ。ちょうどそこは山影になっていて明け方の雨が路面を少しだけ濡らしている。窓から出している僕の右手に前の車がはねた水蒸気がひんやりと絡まる。あっと気がつくと今までよりもぐっとひんやりとした山の空気が一瞬車の中に入ってくる。ああ、こんなとこに地球の香りが逃げ込んでいたのか。
しかしあっというまに今度は左カーブになり、そろそろ大きく上った太陽が小手調べのように僕の皮膚を焼いてみせるのだ。

 うこうするうちに、製紙工場の煙突が見えてくる。僕の育った町のシンボルだ。今でも真っ白い煙をもくもくと上げ続けている。あの煙突のふもとに暮らしていた頃は、それらが誇りでもあり、恨めしくもあった。そして製紙工場とは強烈に臭いのだ。パルプやチップを薬品漬けにしている匂いやなんだかわけの分からない硫黄臭などがその町を包み込んでいる。次第にその煙突に近づくに連れてそれらの強烈な記憶が蘇ってくる。

 っというまにインターチェンジだ。速度を緩めて一般道に入り、時速60kmの日常に帰って来る。時速100kmとのこの40km/hの差は匂いにも表れるものだ。信号待ちで隣に停まった原付バイクが2サイクルのオイル混じりの白煙を吹き、それが容赦無く車内に侵入してきた。おいおい、ちゃんと整備しろよ、と思いつつ心はインドへ飛んでしまう。そう、若かりし頃インドに行った際にカルカッタの街中を我が物顔で走り回っていたオートリキシャのあのガスの臭いだ。それにガヤーからブッダガヤまで大勢のインド人家族と相乗りで走ったあのオートリキシャは特に調子が悪く、一発で吐きそうになるくらいのガスを大地にぶちまけていたっけ。

 、となりにスポーツカーが停まった。若い兄ちゃんが嬉しそうにサングラスをキメて、エンジンを吹かしている。こらこら、アイドリングストップせんかい、といっても無駄だろう。信号が変わり彼は僕の目を意識してかタイヤをキッとならして次の赤信号へ突っ走っていった。ふとその時きれいに燃えたハイオクガソリン独特の匂いが伝わってくる。これは、、そう鈴鹿の匂い。毎年のように秋になるとF1グランプリを見に行っていたものだが、朝のフリー走行中のサーキットに入るとそこらじゅうをこの匂いが席捲していたのだ。11月の鈴鹿の晴れた朝、きりっとした空気の中のその匂いはなぜかとても僕を高揚させてくれた。

 らかに、街の匂い、というものは存在する。妻に言わせると「異常なくらい鼻の利く」僕はおそらくギャングに目隠しされて拉致されても鼻が生きている限り、そこがどこか分かるのではないか?東京の匂い、大阪の匂い、京都、ロスアンジェルス、ニューヨーク、カルカッタ、ジャイプール、パリ、マドリッド、キングストン。。。そして熊本、八代。それぞれが特有の匂いを持ち、そこにまつわる記憶を一気に呼び覚ましてくれる。(行ったことの無い街のことを考えるといつも印刷物の匂いがする。多分家にあったジャポニカ百科事典の匂いだろう)

 んだん会社が近づいてきた。もうすっかり朝の空気は拡散し、まだ8時半だというのに昼の空気が田んぼから湧き出してきている。
まったく真夏という季節は容赦が無いのだ。真夏の田んぼは張られた水が煮えたぎり、独特の異臭を放つ。この街はイグサを育てている農家が多いのでそれに畳の青臭い匂いが混じり、さらに先ほどの製紙工場の臭いまでが重なって、もはや世界中ここでしか味わえないブレンドを醸し出すのだ。

 んなことを考えながら僕は会社に入り、ネクタイを締めて髪を適当に整えて、朝礼。
たくさんの情報機器が廃棄するシリコンの匂い(ホントかな)と歯磨材とユージノールとレジンモノマーの匂いがブレンドされた会社の匂いはここ20年くらいずっと変わらない。子供の頃からずっとそうだった。

 いうわけでこれから雨の日を除いてこの全開走行の虜になりそうだ。たまに朝っぱらから窓を閉め切ってクーラーを効かしている他のクルマを見ると「あーもったいない」と思うようになった。こんな贅沢が味わえるのに。おまけに燃費もすこぶる向上し、おそらくはその分排気ガスの排出量も減るだろうに。皆が皆朝晩のエアコンを切って窓全開で走ったら、すこしは気温も下がるのではないか?
ぜひ、そうしましょう

 れからも、僕は、全開で行くぜ。

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