no.11 1999/08/05

title:経営道と精神世界

 ここ数年くらいのことだろうか?
本屋さんのベストセラーのコーナーで徐々に「精神論」的テーマの本が増えてきたような気がする。
心理学の本(ソフィーの世界とか)、宗教の本(幸福の科学さんとか創価学会さんとか)、あるいはサンマーク関連本(とひと括りにしては失礼かな)などが大躍進している。アニメなんかでもエヴァンゲリオンが話題になったり、なんだか本当に「物質社会」がノストラダムスと共に終焉し、「精神世界」が襲来するかのようである。

 経営の世界においては「精神論」というのは戦前よりしっかりと引き継がれ、実は脈々と生き続けている。うがった味方をすれば「金儲けしまくった後の自己合理化」という側面もあるかもしれないが、とにかく「信念」「想念」「根性」のオンパレードである。
そう考えていると、つくづく日本経済というのは英語の「GAME」ではなくて「試合」の世界であり、「経営学」ではなくて「経営道」なんだなあ、と感じてしまうのである。

 以前お世話になった地元の経営セミナーなんかでも、やっぱりそういう傾向が強くて、本棚には船井幸雄さんの著書が目一杯飾ってあり「貸し出し歓迎」なんて貼ってあったりした。不況に悩む中小零細企業の経営者達は「どの本がためになりますか」なんて質問しつつ、目をきらきらと輝かせて「そうかあ」と呟いている。そうかと思えば結構羽振りの良い経営者は「そうだそうだ、やっぱりその通りだ、ちゃんとここに書いてあるではないか」などと隣の友人に語り掛けて満足そうな表情をしていたりする。

 いや、悩める経営者ばかりではない。近頃では中谷彰宏という役者が書きまくっているHowTo本が飛ぶように売れ、行間の空いた大きな読みやすい文字を就職戦争を控えた若者達が真剣な目つきで追っかけているのだ。

 悩める不況期の日本人は、みなこぞってこのような精神的な指導に救いを求めているような気がする。

 私自身もそうである。
不況期に構造不況業界の零細企業を親から引き継いだ経験のある人にしか分からない類の悩みは結構ある。
この手の話を先輩の創業経営者達に話しても「甘い甘い、俺達はもっと苦労した」で大体終わってしまう(親を含む)。
かといって世間的にはボンボンで通っているんだろうから、あえてそんな話をすることも無い。
 こうやって鬱積した思いを伴って本屋さんに入ると自然と精神世界に足を踏み入れることになるのだ。

 しかし、本当にそれで良いのだろうか?
2000年前の修行僧達は一生を賭けて出家し、学び、苦しみながらそれぞれの解答を得るために悩み苦しんでいたのではなかったか。
それに比べて我々現代人は本屋で1500円の本を手に取り、斜め読みをしたくらいで分かった気になっても良いのだろうか?
ましてやそれを書いている人たちをよく見れば、半数はいい加減な思い付きや誰かの受け売りで書いているとしか思えないことが多いのだ。

 私は唯物論を主張したいのではない。むしろ逆である。
だからこそ、精神世界とは決して簡単なものでは無く、もっともっと真剣に取り組まなければいけないのではないのか、という気がするのだ。

 あまりに安易に安易な本が読まれすぎている。
 その結果、この国は人々を経済で追い込んでおいて、もう一方の手で「苦しみから救ってあげる」と言って阿片をばら撒いているのではないか、と勘ぐりたくもなる。

 これまでは高度成長というマインドコントロールによって日本人は生活してきた。コントロールされた兵隊としての生活を営んできたのだ。
そして今は戦争が終わり、武装解除された兵士達が行き場を失ってさまよっている時代であるように思う。
 私は思う。彼らに阿片を供給してはならない。その場しのぎの平安は明日の混乱を約束してしまう。
心地よい言葉で癒しのセラピーで慰めることは、これまでのマインドコントロールを新しいマインドコントロールに置き換えることに過ぎない。
そうやって再生産された人物は単に目標を変更しただけで、「兵士」としての役割を維持し続けることになることだろう。

 今までの日本は国民全員が兵士としての生き方を続けてきた非常に特殊な国だったのではないか。
もはやそのような国は地球上に不要であることを自覚したら、普通の生き方に戻ることができるのではないだろうか?

 経営者よ、若者よ、書を捨て街に出よう。できることならいったん国を出よう

兵士たちよ、死を選択する前に脱走を試みよ。我が部隊を残して、戦争はもう終わっているのだから。

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