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10歳の頃、日本地図に熱中した話を前回書いたのだが、その後は天体観望に夢中になった。小学校4年から6年くらいの期間のことである。きっかけは皆既月蝕だった。1975年だったと思うが、裏町の古アパートに住んでいた私は、当時その街では珍しく「平坦な屋上」に望遠鏡を設置して観測できる環境にあったのだ。小学校4年の時のクラスメートで親しくしていた田中君が天体望遠鏡を持っており、さっそく彼の家からその望遠鏡を我がアパートの屋上に運び込むこととなった。だんだんと日が暮れて月が輝きを増してくるのを二人でわくわくして待っていたことを憶えている。
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次第に日が暮れていき、一番星、二番星、とふと気がつくたびに星が増えていく。商店街の裏通りに位置していたそのアパートの屋上に立つと、夕焼け空をバックに瓦屋根と並び立つ電信柱のおりなす景色が目の前に広がっていた。そして徐々にその声色を変化させて行く街の雑踏とあいまって、何とも言えない天体ショーのイントロダクションを演じていた。
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いよいよ月蝕のはじまりだ。
当時の私には、徐々に赤黒く変色していき、ついにはどす黒く変わってしまった満月の様子は少しばかり衝撃であった。
それまで月といえば、満月か三日月、半月くらいで、いつだって白く、黄色く、青白く、光っている存在だったのだ。
それが見る見るうちに錆び付いていく。しかもその錆の原因が地球の大気の影である、という田中君の解説に、またも深く衝撃を受けてしまうのであった。なんだか自分がこのアパートの屋上から飛びあがってポーズを取れば、あの月面に写るんじゃないか、そういうスケールの大きな想像をして、鳥肌を立ててみたりした。
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思えば、月という存在は私にとって古くからの付合いだったように思う。
人類初めての月面着陸が成功したのは1969年、私が4歳の頃であった。当時はテレビもラジオも一斉に生中継で着陸の瞬間を繰り返し報道していたので、子供心に「月に行くことは凄いことだ」と分っていたと思う。
とにかく遠くに行くらしい。そして誰からも賞賛される冒険に次ぐ冒険がそこには待っているのだ。
しばらくして当時の近所の野球友達と一緒に「自分達の力で月に到達する」と宣言することになった。
まずは宇宙船の製作から始めなければならない。
仲良しの友達のお父さんが手伝ってくれて、廃材にキャスターを4個打ち付けた僕らのアポロ11号建設が始った。
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私の住んでいた家から、その仲良しの家までは約50m、なだらかな下りの坂道であった。
そしてその先はT字路になっており、そこを左に折れるとまず、いつもの駄菓子屋があって、その先は通っていた幼稚園へと続く日常世界だ。しかし、右に曲がるとま、今度は上り坂になっており、見知らぬ世界へと続いていた。正確に言うと姉が通う小学校がその先にあったのだが、自分達にとってはまだ見ぬ未知の世界が広がっていたのだった。
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ほどなくして我らが宇宙船は無事完成した。
ロケット燃料、という概念はないため、僕らのうちどちらかが紐で引っ張らないと軌道に乗せることはできない。
1歳年下だった私がその大役を引き受け、ぎりり、ぎりり、とアポロは始動した。
そうだ、テレビでも最初はゆっくりなんだ、物凄い土煙を上げてゆっくりと宇宙船は飛び立っていくのだ。
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おかしなもので、そこから先はいくら思い起こしても記憶が無い。
おそらくはT字路を左に曲がったら、上り坂だったため力尽きて断念でもしたのだろう、だが都合の悪いことは人間忘れるものだ。
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それからしばらくして私は100kmほど離れた街に引越し、さらに数年後、今度は天体望遠鏡を持つ田中君と出会って、月と再会することになる。
いつか到達するはずだった月面が赤黒く錆びていくのにはビックリした。
日本沈没だなんていっている場合じゃないんだ、天文はスゴイぞ、スケールが違うぞ。
そうやって、まだ昼間の熱が少しだけ残っている古アパートの屋上に寝っ転がった10歳のボクは、満月が陰っている少しの間だけ明るさを増していたたくさんの星を眺めていた。
Taka
end