no.6 1999/05/26
title:地図が好きだった
凝り性、とよく言われる。
いつごろからそう言われてきたのか振り返ってみると、おそらく小学生くらいから、あるいはそれ以前からかもしれない。
幼稚園の頃、街を通る車の名前を片っ端から覚えて喜んでいたのがおそらく最初だったと思う。
小学生に上がってしばらくすると、今度は「地図」に没頭した。
なぜ、地図だったのか、というと、思うに小松左京原作の「日本沈没」の影響である。
小学校3年生くらいの時だったか日本中が映画「日本沈没」ブームになっていた。しばらくして丹波哲郎主演の「ノストラダムスの大予言」なる映画も上映され、そのラストシーンに日本中の子供たちがトラウマを背負ってしまっていた時代のことである。
ある日親が買ってきた新書版の「日本沈没 上・下巻」の表紙を見た時に、心が動いた。
簡略化された日本地図が描いてあったのである。
自分が住んでいる場所が、タツノオトシゴのような生物的な形をしていることに、ショックを受け、感動し、夢中になってしまった。
10歳の子供に漢字の多い小説が読めたわけではないのだが、表紙のインパクトに屈したのか、私の愛読書ということにした。
学校に行くと、昼休みは砂場でダムを造り、水をぶっ掛けてダム湖を造成し、最後に怪獣が現れてすべてをぶち壊す、という極めて正しい田中角栄日本改造論+円谷プロ的な遊びを毎日繰り返していたのだが、この日本沈没ショック以来、私はそこに日本地図を造成し、それを巨大怪獣が踏み潰すという革命的にスケールアップした遊びを持ち込むこととなった。
それらは友人らで大いに受けて、気をよくした私はさらに「日本地図」がもたらす快感を覚えてしまったのだった。
同じ頃父が無理をしたのか営業マンに騙されたのかは知らないが、「ジャポニカ百科事典」シリーズ全16巻が我が家に投入された。
それには別冊としてA3版くらいの「詳細 日本全図」と「詳細 世界全図」という地図帳がついてきた。
その「日本地図」はさっそく私の愛読書パート2となった。
それからはひたすら日本地図の海岸線を描くことに夢中になり、折り込み広告の裏白紙は私の描く地図で真っ黒となる。
当時は「人口が多い」というだけで都市に憧れる時代である。地図上にマーキングされた街の記号の中で、人口の多い都市を示す◎を躍起になって探した。また、100万人以上の都市を示す赤い斜線で囲まれた市街地を見ただけで興奮し、凄い秘密を見つけたような気がしてやたらと蛍光マーカーで上塗りした結果、印刷を消してしまって半べそかいてみたりした。
また、地図帳の巻末に載っている「国内の県別人口」やら「河川の長さベスト3」などというランキングものを憶えることに熱中して、親兄弟友人に自慢して困らせたりした記憶がある。いわゆるデータ魔という奴で、そのころからオタク力がついてきているのだろうか。とにかく数字が大きいことは素晴らしい、という思い込みを持っていたので、人口密度、流域面積、透明度、なんでも憶えまくっていた。
今思えば有り余る時間と若い記憶力を持て余していただけかな、とも思うのだが、一方で今の子供たちも地図を暗記して喜んだりするのだろうか、とも思う。
当時(1970年代)は、地図に魅力のある時代だったように思う。
開発、という言葉が美しく、憧れとともに響き、単純に都会に憧れ、「日本一」という言葉に意味のあった時代。
私の子供時代もやはりそのような空気とともにあった。
いや、正確に言うとそのような空気の名残のうちにあったというべきかもしれない。
1980年代にかけて、公害問題や環境問題などが表面化し、また日本経済もバブルに突入する以前の少しばかりの踊り場にあったためか、何とはなしの厭世観、行き詰り感がじわじわと浸透していった時代でもあったのだ。ただ、私の住んでいた田舎にはまだそれらの空気が伝わっていなかっただけで、しかしテレビなどでは次第に「単純な上昇志向」を揶揄する傾向が現れ始めていた。
子供ごころに「右肩上がりが終わりつつある」時代の空気を感じていたのかもしれない。
日本地図への没頭はしばらくして収まり、天体観望へと興味の対象が自然とスイッチしていった。
今思えば、地元の工場の煙突から出る煙を見てワクワクしていた気持ちが、反対に「星が見えない、邪魔だ」という感情に変わっていったわけだ。
さて、1990年代も終わろうとしている。
1987年〜1990年くらいまでの日本を巻き込んだバブル経済が唐突に終わり、思いもしない不況に陥ってそろそろ10年になろうとしている現代、今の子供たちはその興味の対象をどのように変えていっているのだろうか。
ある意味自分の過ごした時代と少し似ているような気もするし、あるいはこれまで全く経験していないような新しい感覚の時代が訪れているのかもしれない。
今現在、自分が10歳だったらどう思うだろうか?
地図を捨て、星を観はじめたように、何を捨て、何を始めているのだろうか?
Taka
end