no.4 1999/05/10
title:僕はインタビューを受け続けている
遅れてきたビートルズ世代だった。
私は1965年生まれであるので、ビートルズ世代というわけではない。5歳の時に彼らは解散しているからだ。
ビートルズに触れたのは1976年頃、小学6年生くらいのことだった。転校まもない時期に新しい友人宅に遊びに行き、そこの豪華なステレオセットで聞いたのが、意識して聞いた最初の体験であった、と思う。
ちょうどその頃、深夜放送の「オールナイトニッポン」にも興味があって、頑張って夜更かししつつ、イヤホンでラジオを聞いていたものだが、毎週土曜日25時からの松福亭鶴光の前番組が「ビートルズよ永遠に」という30分番組であった。
小学生にLPを買う小遣いなどあるわけも無いので、毎週この番組を聞いてはエアチェックして、知っている曲を増やしていく、というおよそ小学生らしからぬ不健康な生活を、その頃からはじめていたわけだ。
中学生に上がって初めての小遣いでビートルズのLPを買っても、基本的にはエアチェック生活が続いていた。
ザ・ビートルズ事典
中学1年になって大枚をはたいて「ザ・ビートルズ事典」という分厚い本を買った。
ビートルズの歴史から、曲ごとの紹介、使用した楽器の紹介、エピソードなどをまとめた本であった(今でもあると思う)。
もうまるまる暗唱できるくらい、読み尽くした最初の本でもあったのかもしれない。
特に、彼らのインタビュー記事や発言集などは、あまりに格好良く感じて、思いっきり感化されて、すっかり翻訳調で話す癖がついてしまっていたくらいだった(それにはヤングジョッキーの渋谷陽一氏の影響もあったと思うが)。
いずれにしても、その頃からである。
私の中での一人インタビューが始ったのは。
インタビュアーの出現
何かを新しくはじめようとする時、あるいは何を成し遂げた時に、ふいにインタビュアーが現れるのである。
「ところでアワヅさん、この新しいプロジェクトの意味はどういうことなんでしょうか?」
「お疲れ様でした、今のお気持ちは?」
てな具合に良くある質問の後に、私は平然とかつ少々シニカルに答えを述べるわけである。
「別に意味なんか無いさ、ただの必然だよ、ビジネスさ」、とか。
「まだ成功と決まったわけではないんだ、まだこれからだよ」なんて、必ず翻訳調で答えたりするのである。
すっかりその時には自分はジョンかポールかジョージ(リンゴであることは、まずなかったが)になりきっている。
別にぶつぶつと独り言を言うわけではないが、気がつけばなんとなくそのような思考パターンに陥っていることがよくあるのだ。
病か?
このような事を考えているのは果たして私だけなのだろうか?
いや、意外といるに違いない。特に洋楽ファン、それもミュージックライフとかロッキンfとか特にロッキンオンの読者だった人には。
それにしてもこんなこと考えていると、だんだんオカシクなってしまうのではないか。
確かにぶつぶつ独り言を言い始めると少しばかり病的に映る。
そのうち、人格が分裂してくる。だんだんどっちが本当の自分だか分からなくなってくる。気がついたら自分のことを有名人だと思い込んで無礼に声をかけてくる奴をぶん殴ったり、蹴飛ばしたりし始める。そのうち監獄か病棟で目が覚める、なんて事になりかねない。
そこまでいかなくても、不気味なナルシストだとして世間から疎んじられるかもしれない。
考察
そもそもそのインタビュアーっていったい誰なんだろう?
あらためて考えてみると、インタビュアーもどうやら自分のようだ。つまり自問自答だ。
元来理屈っぽい性格であるのが災いしてか、自分の行動に説明がつかないのが、どうも嫌なのだ。
それで、自分自身が「おい、どういうことなんだ」と尋ねてくることになるのだろう。
でも誰だってある程度はこんな考え方しているのでは、と思うのだがどうだろうか?
それは日本人に多い「無宗教」主義と関係しているのかもしれない。
私自身もそうであるが、特定の神様を信奉していないために、「こんな事したら罰があたる」だとか「きっと神様が見ていてくれたよ」という考え方が持てずにいるのである。キリスト教における教会での懺悔の時間が、そのままインタビューになっているのだけではないだろうか?
30過ぎてもまだ理想論を捨てない青臭い男の懺悔は、自分自身に対して行われている。
これを内向的だといっても良いのだろうが、しかし、こうやって精神のバランスを取りつつ、なんとか生きている。
業
2年ほど前に社内ネットワークの件で雑誌の取材を受けたことが数回あるが、自分にとって大変馴染んだ出来事のように思えた。
いつかはビートルズとしてマスコミの取材に答えることであろう、と中学の頃から潜在意識に植え込まれていたのだから、当然だ。
そうして考えてみると、このような形でインターネットに自分の考えを書いているのも、何ら不自然ではないわけだ。(むしろ誰も聞いてくれないから、勝手に喋っているのかな)
今思い出したが、小学校4年生の頃、勝手に新聞を作ってクラスで配ってたっけ。
こりゃもう業(ごう)のようなもんだな。
今後も私はさまざまシチュエーションを勝手に想定して、頭の中で質問し続け、答え続けるのだろう、そしてそれはある種の快感だ。
と同時に自分へのプレッシャーともなり、おそらくは周囲の方のストレスにもなっていることだろう。
何事においても、整理することや理解することは難しいし、まして表現することなどなおさらだ。
この歳になってビートルズから教わることはそういうことかな。
彼らが解散した時はまだ29歳くらいだったはずなのに。
Taka
end