taka's業務日誌 2003年8月
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30日
日
曜
diary
1
金
さあ8月だ
人生38回目の8月を迎えた。午前中からデスクワーク。賞与関係、会議資料、出張関係の交通手配など。8月は鹿児島、東京に加えて屋久島だ。最近仕事の能率が捗らない気がしているけどそんなこといってる場合じゃないな。屋久島に電話してガイドさんを決定。例のおせんべいの件でいくつか電話してみたり。夜はここ10ヶ月の実績を元に会社の新しいビジネスのシミュレーションをパワーポイントで作ってみる。そんなこんなで時間が過ぎていき、あっという間に深夜へ。ようやく会議資料を全てまとめる。いつもこうだな。
2
土
会議
朝から妻も子連れ犬連れでやってきて4人の会議が始まる。一通りの議題の後、メーカーさんが来られて新しい商品の説明会。その後営業と昨日の新しいプランについてミーティング。彼もお盆休みにもう一つ新しい企画を考えてくるという。なかなか面白い案だ。請求書を出して、チェックした後解散。昼食後実家で一眠りした後、家族3人で買い物に出かける。靴屋、ディスカウントストア、ユニクロ。明日からの屋久島旅行の買出しだ。八代は今日から「くま川祭り」らしい。そのわりには人出が少ないような。家族を降ろして一人でいつもの床屋さんへ。ここでもう一眠りした後(笑)、家に戻りもう一仕事(涙)。父が久しぶりに出かけた釣りで獲ってきたというキスの天ぷらテンコ盛りで夕食を食べた後、3人+犬で近所を散歩。それにしても八代の町は街灯が暗いなあ。風呂に入った後、明日のパッキングをやってオヤスミ。
3
日
さあ、いよいよ屋久島親子の旅
4時半におきて、いそいで支度して5時には出発である。今回僕は10年ぶりに屋久島に行くことにした。前回は結婚間もない妻とだったかが、今度は8歳の息子と2人きりで、である。前回来た時に「次は息子と2人で来れたら良いよね」と話していたことが実現することになる。最近仕事にかまけて息子と接する時間が少なかったし、僕自身運動不足なのと少々煮詰まり気味だったので、良い機会かなと思って。鹿児島本港をフェリーが出るのは0830、でも一時間前には到着しておく必要があるというので逆算して5時の出発である。
僕ら家族としては恐らくは今回で最後のドライブになるマツダデミオ(この後営業車に転身予定)に乗って、高速をひたすら南下。トンネルを抜けるたびに空が明るくなっていく。息子は後部座席でぐっすり。予定よりもずいぶん早く鹿児島ICに到着した。鹿児島本港につくと、早くもフェリー屋久島2号が我々を待っている。ところが恐ろしく案内の悪い表示に誰もが右往左往する。どうやったらこんだけ分りにくく作れるのだろう、と思うくらい巧妙に人心を迷わすよう設計しているとしか思えないのだ、いやほんと。
たとえばクルマの移送手続きなんてほとんど隠匿された場所にあったりする。乗客の乗船手続きカウンターには意味の無い窓表示がたくさんあり、外人に「どこに並べば良い?」と聞かれても日本人である僕もさっぱり答えることができない・・・でもなんだか異世界へのツアーにはこれが良いような気もしてきたが(笑
船内では二等船室でゴロゴロしてても退屈なのでデッキに上がりあちこち探検する。ラウンジにちょうど良い座席を見つけ、ここに居座ることに決定。
ガイドブックを読んだり、パソコンで日記を書いてみたり。降りたらクルマの運転が待っているというのに缶ビールを3本も空けてしまう。錦江湾内を進むせいかずっと携帯の電波が届いているのは面白い。あちこち電話してしまう。
予定通り12:30頃には屋久島の表玄関、宮之浦港に到着。運転席に戻り、さあ、10年ぶりの屋久島ドライブだ。
なんとなく10年前に比べると道路や建物が新しく、きれいになっている気がする。後で聞けば、世界遺産への登録もそうなんだけど、数年前に皇太子ご夫妻が来島された時に一気に整備されたのだという。「この道も通られるかもしれない」的ノリだったらしい。幸せな国なのである、日本は。まあ公共工事を引っ張る理由なのだろうけど。
さて、予約していた
ペンションハロー
を探す。10年前、結婚間もない妻と来た時は、たしか尾之間の
「ペンションドルフィン」
というけっこう鬱蒼とした藪の中にある宿に泊まった記憶がある。今回もそこでよかったのだけど、連絡先も忘れたし、ネットでも探せないので、まあよいか、とネットでたくさんあった宿の中からなんとなく雰囲気で決めて電話で予約していたのだ。教えてもらった通りにクルマを進めていき・・・特徴のあるコーナーを曲がった瞬間強烈なデジャブが僕を襲った。「き・・・来たことあるかも」。。
しかし、なんか違う。前着たところとは何かが違うのだが。。。たしかに見覚えのある風景なのだ。駐車場に止め、建物を見上げると・・・おお、確かにそうだ。ずいぶん掃除され、雑草が刈り込まれているけど・・ここは確かに「ドルフィン」だ、間違いないぞ。玄関をくぐり、オーナーに部屋に案内された瞬間、「変ってねー」と心の中で絶叫。「あの、もしかして以前違う名前でやってませんでした?」と聞いたところ、案の定、10年前まではドルフィンで、その後、自分たち夫妻が引き継いだのだという。こんな偶然もあるものだなあとしばし盛り上る。もしかしたら宿を決める時の僕のパターンが昔と変っていないだけかもしれないけど(今回の決め手は価格とビヤガーデン併設という単語だけだし)。
さて、明日は山登り、あさっては海遊び、と大雑把な予定は決めているものの詳細はこれから考える、という今回の旅。まずは妻に電話し、無事の到着とドルフィンハロー事件の概要を伝え(爆笑し)、エアコンの効いた部屋で予定を考える。まあとりあえずは昼飯でも食うか、と近所の中華料理店でラーメンを。関西弁の主人らしく中華料理店の割には京風なラーメンで懐かしかった。さてまずは海に行ってみるか、と
栗生
の海岸へ移動。すごく良い天気に思わず2人して駐車場で全裸になり、海パン姿で進水。見渡せば30人くらいしか人がいない。監視体制もしっかりしているし、安心して遊べそうだ。けっこう大きな波が来ていて息子は大はしゃぎ。正直あまり泳ぎの得意でない僕も息子を連れてぷかぷか遊んでいた。
と、突然足下の感覚が無くなる。ぐぼっ。こういう瞬間ってパニックになるもんだなあ、なんて頭の片隅で考えながら、息子の体を岸に向かって追いやり、必死でバタバタするのだが、波が強くて自由に泳げない。一人だったら何のこともなく体を水平にして平泳ぎすれば岸に辿り着けると思うのだが、息子も僕の変化を感じ取ってか左手にビシっとしがみついてくるのでどうしようもない・・・遠方で監視員たちが談笑しているのがなぜかしっかりと見える。とにかくは、といったん自分の頭を水に入れ、全力で平泳ぎ態勢に移行、しばらくして立ってみたら容易に足がついた・・・この間多分5秒くらい。今思い出してもぞっとする。「お、おまえしがみつくなよ、死ぬかと思ったじゃないか」といえば、「いやー面白かった、また遠くに行こうよ」など地縛霊のような発言を平然とする童子野郎である。
妻が聞いたらぞっとするような話だが、こういうのも体験か。水の事故というものが案外すぐそばにあるというのが実感できた。なんてことないことなんだけど、自然から学ぶべき事は多いなあ、と大げさな僕。しかし息子には屁のようなものらしく、相変わらず河童のように遊びつづけている・・・これって教育になってないじゃないか(笑)
さて、明日の山登りもあることだし、ここは30分あまりで引き上げ、帰り道に
平内海中温泉
へ寄ってみる。海に面した天然の温泉で、混浴で誰もが入れるというところだ。10年前、妻がどうしても入る、というので近くまで来てみたのだが、結婚間もない純情な僕は28歳の絶世の美女を人目に晒すのに耐えられなくて「頼むから諦めてくれ」と懇願したのであった(今だったらそんなこと言うわけが無い。おまえ、人様の迷惑も少しは考えたらどうだ、とか言うに決まってる)。クルマを止めて坂を下がっていくと・・・おおここがそうだったか、と息子をフルチンにして、ついでに自分もそうなり、お湯に近づく。地元らしきおばちゃんに「ちゃんと体を流して」と注意され、さて、いよいよお湯に浸かる。う〜ん気持よすぎる。硫黄の匂いが「温泉」という雰囲気を醸し出す。すぐそこが波打ち際で旅情も高まる。ふと陸のほうを見ると・・・なんだなんだ、団体客のおばちゃんたちが思い思いにカメラを構え・・・俺たちのヌードを撮影しているではないか。 「まあ今日のところはこれくらいにしといたるわ」と悠々とパンツを履き、何事も無かったようにクルマに戻る親子2人であった。
海中温泉では体は洗えない、というので
尾之間温泉
に移動。とても気持よい風呂であった。大人200円、子供100円である。これぞ温泉!という感じで、体がぬるぬるする。昨日からまた鼻の中にできものができてかなり痛かったのだが、こんなの一発で治りそうである。旅の疲れ、というほど疲れていないが、ここ数ヶ月の仕事や生活の分も含めて、なんだかじっくり癒される温泉であった。古い造りなのだがかえってそれが気が休まる。いろいろ行った温泉の中では僕的ランクがけっこう上なのであった。毎日来ることにしよう。
さて、ペンションに戻る。夕食まで1時間ほど時間があるので、2人でめいめい日記を書いたり、デジカメの整理をしたり。19時に夕食の用意ができたというのでダイニングへ。とっても豪華な食事!思わず生ビール2杯飲んでしまう。大阪から来ているという女性2人組とプロ野球見ながらオーナーとおしゃべり。なんか男2人親子の旅なんて訳有りみたいで詮索されるかと思いきや、別にそういうことも無く(笑)美味しく全部いただいて部屋へ戻る。僕は酔っ払いながら簡単な洗濯をし、息子はテレビをつけてゲラゲラ笑い、また廊下の文庫に置いてあったレッツ&ゴーを引っ張ってきてゲラゲラ笑い楽しそうにしているのだが、明日はハードな山登りだから、と早々に寝かせる。とても楽しい1日でこの旅はスタートできたようだ。
4
月
白谷雲水峡の一日
親子2人して6時には目が覚め、昨日の日記を書いたり。7時20分から食堂で朝食である。そうそう、10年前もここで食事したのだった。そう思い出しながら息子と2人で食べていると、ご主人の奥様が困った顔でやってきた。聞けばまったく
日本語のできない外人さん
がきて、なんか喋っているのだが・・・とのこと。どうやら山に入りたいのだがバスはどこからでているか、とかそういうことらしい。ああ、だったら僕らもこれから山に行くので入り口までクルマに乗せていきましょうか?と伝えてもらうことにする。とかいってものすごい体格のキングコング2人組みだったら到底クルマに乗れないと思うけど・・・食事が終り、二階の部屋に戻る途中、彼らの一人に遭遇。チラッとみると体格には問題な誘うな若い兄ちゃんである。久しぶりに使う英語で概要を聞いてみたら「とにかく山ならどこでも良いから行ってみたいのだ」とのこと。まあそういうことならどうぞ、ということで20分後に玄関で集合ということに。なんか面白いことになってきた。
実は今回の旅ではガイドさんをお願いしていたのだ。エコツアーとかいろいろあるみたいなので、事前にネットで調べて、一番老舗らしい「屋久島ガイド協会」に電話でお願いしていた。息子がいつも頭の中では別の世界が広がっていて、鼻歌のBGMとともにベイブレードの物語が始まり、現実と乖離してフラフラと彷徨い出す、というまさに親譲りのドリーマーなため、いつ何時行方不明になるかわからないというリスクを回避するために2万円くらいする個人ガイドをお願いしたのであった。
さて、駐車場にて待っていると、若いカップルが歩いてきた。よかった、どうやら片方もキングコングでは無さそうである。男性の方がオットナー、女性がエミリーという名前だという事は僕でも理解できた。とにかくはガイドさんとの待合せ地点まで行こうではないか、とクルマをスタートする。約30分の車中、ちょっとずつ英語を思い出しながらいろいろと詮索開始。フランスから来ているカップルらしく、オットナーがエンジニア、エミリーが教師だとのこと。できれば僕らと一緒にガイドに付いて行きたい、というので、いちおう有料だからお金取られるかもよ、と伝える。僕も3月にドイツに行ったばかりなのだが、あの時は意外と英語を使わなかったからなぁ。基本的に高校英語+小林克也のアメリ缶レベルなのでいったん頭の中で翻訳して話さないと何がなんだかわかんなくなるのである。でも2人も英語が母国語というわけではないので比較的ゆっくりと喋ってくれて、どうにか意思は通じるようになってきた。
屋久島空港の駐車場でガイドの佐藤さんと会う。事情を話してなんとか二人もガイドしてもらうことでOK。しかも僕さえ良ければ追加ガイド料は要らない、という。これは何たる日仏親善的ラッキーか、と二人に伝えたら非常に恐縮していた。僕の分を半分こする、とか言うのだけど、要らないってば、と伝えたら「いやあ日本人はみんな素晴らしい。キミがフランスに来た時、きっとフランス人はフランス語を喋らないキミに辛くあたったことだろう、だからフランスには二度と行きたくないとか思っているだろうけど、日本人は違うよ、逢う人みんな素晴らしい」とか言うので、どうしてわかったんだろうと思ったんだけど、まあここで「そうなんだよ」というのも大人げ無い気がしたので敢えて東洋的微笑でもって場を乗り切ってしまった(笑
さて、5人を乗せたクルマはずんずんと山奥に入っていく。思いのほか奥まで車がいけるんだなあ、と話しながらいよいよ
白谷雲水峡
の入り口へ。駐車場に停めようとしたがなぜか一画にロープが張ってあり停められないようにしてある。おかしいなあといぶかしがるガイドさんの指示に従い駐車区域外に巧妙に駐車。トイレに行った後、入山料を払って屋久杉の待つ神秘の森へ足を進める5人であった。
一行はぐんぐんとほどよく整備された森林の道を進み始めた。佐藤さんはおしゃべりでも無口でもなく、プロならではの配慮の進行でガイジンコドモ混成部隊を率いていく。自然と佐藤さん、息子、僕、オットナー、エミリーの順序が確定され、山の道を分け進むのである。
二代杉、三本足杉、びびんこ杉、三本槍杉、奉行杉、二代くぐり杉
と次から次に樹齢1000年を越える大木と出会う。しかし僕はそれらの大杉も良いけど、時たま現れる幻想的な苔と石と木の根が作る圧倒的な美の方にクラクラきていた。このあたりから皆無口になり、ただ頭から洪水のように流れる自分の汗を感じながら、足場を確かめながらまるでラリーカーのドライバーのように反射神経だけで歩き始めている。まだどこかに冷めた思考が残っているけれど、きっとこの状態をもっと極めれば昔の人の云う無の境地とやらに近づけるのかも知れんななどと思った。
白谷小屋でちょっと休憩。冷たい水をがぶがぶのみ、顔を洗い、タオルを浸して次への活力を養う。すると裏手で人の声がする。何かと思えば
屋久鹿
の登場だった。10年前来た時にの彼はちょっとだけその姿を見せただけで、とてもシャイな奴だったが、今では違うらしい。すっかり人に慣れて相当近づいても逃げたりしないそうだ。10歳以上の鹿だけがそうだったらわかる気もするが、当然それ以下の鹿もそうなのだから、彼らの世界にも教育や伝統があるということか。そっと近づいて何枚か写真を撮らせてもらう。息子は大喜びだ。
その後何度もヤクシカたちと出会う。七本杉を過ぎたら
もののけ姫の森
といわれるポイントである。写真に撮って見るとまるで水槽の中の水草のように写る。とても幻想的だ。オットナーたちにもののけの森といわれる謂れを話すと、つい6ヶ月前にフランスで映画を見たのだそうだ。宮崎駿と言っても伝わらなかったが、MONONOKEといえば伝わるところが現代日本文化の底力のような気がした。
さて、今度は割と急な登りが続くルートに変化した。頂上の太鼓岩を目指すのだ。いよいよ無口になり、黙々と進行する。回りの景色も気になるが、集中していないと足を踏み外してしまいそうである。ようやく登りが一段落し、なんだか尾根の天辺を進むような感じになってきた。そろそろ頂上のようだ。すると一気に展望が開け、太鼓岩の上に出た。
太鼓岩
はその名の通り、叩けばぽんぽんと中が空洞のような音がした。4畳半くらいの岩の上で僕らはお弁当を広げる。他にいくつかのグループが景色を楽しんでいた。佐藤さんに用意してもらったおにぎり弁当を広げた瞬間、いきなりの雨。それも半端ではない雨が降り出す。雨具を出す余裕の無い僕らはパリジェンヌから1本傘を借り、暖かいコーヒーを飲みながら移りゆく景色を楽しんだ。素晴らしかった展望も一気に雲の中に収まり、いかにも落雷で鍛えられたような杉の折れ枝がその中に浮かんでいる。こういう体験もまた貴重なのだ。屋久島で雨に降られず、どうするんだって感じだ。
ようやく雨も一段落し、下りの行程へ。実は上りより下りの方がはるかに神経も筋肉も使うようだ。一歩間違うと滑り台になる。おまけに相変わらず大粒の雨が降っている。息子は意外にも弱音を吐かずに楽しそうについてきているようだ。カップルも楽しんでくれいているようだし。途中で行きの道とは違うルートへ回り、
弥生杉
を見に行く。このあたりは道も整備され、あまり奥深い森、という感じのしないところのようだ。なんか騒がしいなあと思ったら、NHKが昼の番組のために取材に入っているらしい。そういえば昨日のフェリーでも器材車の後ろにつけていたし。とにかく大勢のクルー。駐車場から延々とケーブルを何本も山上に這わせていた。さすが民間とは違ってたかだか30分程度の番組にお大仕掛けするもんだなあ、と妙に感心。ガイドに聞けば、以前も30分そこらの番組のため、1ヶ月に3回もガイドしたという。いやはや。なんでも、世界遺産の海外ロケなどではNHKクルーが入った後はどの国のロケ隊も入れないそうだ。なぜならすっかり物価が高騰してしまうからだと。本当かどうかは知らないけどさもありなんである。
思ったよりも早く入り口に到着した。5時間あまりの非現実的な旅であった。停めていた車に乗り込み、爽快な風を感じながら山を降りる。息子は後部座席で眠ってしまった。ガイドさんが少し時間が余ったので
川の下流
で遊んできいきましょう、というので、白谷川の中流にある公園に。携帯電話が使えるようになったので、息子は起き出してさっそく妻に報告していた。と思ったら次から次に仕事の電話が・・・皆が川で遊んでいる間、しばし汗をかきながら仕事電話に邁進する。さて僕も少し遊ぶか、とパンツ姿になって川に入る。パリジャンとパリジェンヌも下着姿で泳いでいるようだ。
昨日溺れかかったばかりだというのに、また同じような体験をしてしまった。息子を僕の背中に乗せて対岸まで歩いていた時のことである。中流なので川幅も20mくらい、大きな石がたくさん転がっていて歩いて渡れると判断して歩いていたのだ。そのときまたもや足元の感覚が消えた。ずるっと頭の上まで水に浸かり、あららまただわ、と考えながら今度は冷静に平泳ぎ態勢に移行し、今来た岸を目指す。ところが思ったより急流なのである。あれよあれよと下流に流されていく。背中に重量物を載せているため、なかなか頭が上がらず、すこしずつ焦ってくる。岸にたくさんの子供たちが遊んでいるのが見える。またもっと下流ではガイドの佐藤さんが泳いでいるはずだ、だからどう考えても溺れる可能性はゼロなんだ、だけど頭の片隅で昨日の恐怖感が蘇ってくる。なぜかこんな状況で高校時代の物理の教科書の力のベクトルのページが浮かんでくるし(笑)。そろそろ石があるころだ、立ってみるがまたずぶり、と沈む。もうちょいだぞ、と情けない犬掻き態勢でようやく足の立つところまで辿り着いて、立ち上がった。背中の息子はまだ息をしているか、と覗き込むと「ああ面白かった。スリル満点だね、もう一度行こう」などと言うではないか・・・
16時半になり、そろそろ引き上げようということに。ガイドさんに支払を済ませ、元の4人で尾之間までしばしドライブ。後部座席の2人も満足してくれたようである。この後いったんペンションに戻り、
尾の間温泉
に行こう、ということになる。ペンションでは奥さんが笑顔で迎えてくれた。15分後、温泉へ。ヨーロッパ人にはあまりにお湯が熱いのだ、とか言ってたけど最後は方まで浸かっていた。
ペンションに戻って、待ちかねた夕食。今日はここで夕食を取る8人全員が揃っての夕食ということだ。成り行き上、僕が通訳しながら奈良組、大阪組、熊本組、フランス組で会話が進む。明日の宿を確保していないフランス組の旅相談に乗るうち、またもアルコールが進み、今日も生ビール2杯を流し込む。夜9時過ぎには部屋に戻り、息子の世話をしているうちに眠気が進み・・・気がついたらもう朝だった。体を動かした後はとても深く眠ることができた。
5
火
海・川・杉・亀・蟹の屋久島体験
早寝早起き。6時には目が覚める。洗濯したり日記書いたりして、最後にフランス組のために、持ってきていたガイドブックの種子島のページを簡単に英訳しておく。7時に朝食に向かうが、そういえば7時半に約束していたのだった。ということで息子と近所を散歩。尾之間の田舎道をブラブラ歩く。1分ごとに太陽の位置が高くなって、気温が上がっていくのが面白い。カメラを持っていろんなものを意味も無く撮影するのも楽しい。お腹をすかせて今日は洋風の朝食。パリ人にさっきのガイドブックを渡して、種子島の情報を渡す。なんでもパリジャンの方がサーフィンをやりたい、と言い出し、種子島か宮崎に移動したいと言っているのだ。とはいっても、彼らもなかなかのツワモノ、日本語まったくダメな上に、ガイドブックすら持たずに島に乗り込んでいるのだ。しかも台風が近づいているというのに。さすがに女教師はそのあたりは不安らしく、実はサーフィンなんかどうでも良いのだ、という横顔をちらりと見せたりするのだが、エンジニアの方はといえばもう勢いづいてしまっている。まあいろいろ電話したりなんだで、結局夕方の船でとりあえず種子島へ移る、ということになった。はてさて大丈夫なんだろうか。
さて、我々熊本組はいったん部屋へ戻り、外出の準備をしていっそう強くなってきた日差しの中、クルマに乗り込む。
尾之間から時計回りに車を進め、目指すは1日目に行った栗生海岸である。ここから
海中観覧船「まんぼう号」
が出ているのだ。昨日は山の一日だったので、今日は海から始めることとしよう。9時15分に栗生港に到着。待合室で受付をすると、出発は40分だという。ということで、息子と今日2回目の散歩。防波堤を歩く。日差しはもう絶好調、帽子を被らないと倒れそうなくらいだ。港の水はあくまで透き通り、容易に海底を覗き込むことができる。たくさんの魚が泳いでいるのが見える。
さてようやく時間が来てまんぼう号は2人の乗組員と、僕らと、もう一組のカップルを乗せてスクリュー全開である。進行中は船酔いしやすいので海底を見ないよういわれ、しばし外の景色を眺めて進行。しばらくすると停船し、海の底を眺めながら30分あまりの観覧の始まりである。
解説役のお兄ちゃんを気に入ったのか、息子はいちいち反応し鋭い質問を投げかけるので、乗組員も心なしか気分が良さそうである。そのおかげか滅多にみることができないという海亀を3度も見ることができて息子はもう絶好調。いろんな魚や珊瑚などの生き物を堪能しているうち、あっという間に港に戻ってきた。息子は船を下りても待合室で海の生き物図鑑を広げてさっきのお兄ちゃんを質問攻めにしている。お互いとても楽しそうである。
さて、まだ10時過ぎだ。隣りの
栗生海水浴場
にまたやってきた。僕らのほかには北海道から来ているという大人数の家族連れくらいだ。今日は溺れないように遊ぼう・・・台風が近づいているせいか、一昨日より波が高い。息子は波に漂って気持よさげ。僕も彼から眼を話さないようにしながら、しかし携帯電話がひたすら鳴り続けるので、まるで静養先で株の投資をする探偵小説の犯人役のような気持で仕事したりする。と、監視員の大声に皆がいっせいに集まってくる。どうやら産卵後の
ウミガメの子供
を発見したらしい。もう大人も子供も大興奮。衆人環視の中、ウミガメ子たちは誰にも教わっていないのに海の方向を目指して、一生懸命歩き出す。そして水に入ると見事に波間に浮かびながらどこか遠い海の国を目指して必死で漕ぎ出した。人間の子供たちも笛吹き男に踊らされるように彼らの後を目指していっせいに泳ぎだす。笑ってみていたが、実はまずいよなこれ、と思い直し、先回りしてようやく堰き止めることに成功。危うく来年の産卵時期まで会えなくなるところだった(笑
興奮が冷め、しばらく波間で漂っていると、今度は堤防の方で
「魚が釣れたぞ〜」
と大声、まったくこの砂浜はサービス満点なのである。またも北海道組と熊本組とで走る、走る。近づいてみると、それはそれは大きな銀色の魚が釣り上げられていた。とても美味しそう、とは思えないのだけれど、勇気を出して「旨いのか」と聞いてみると「そりゃ新しいからな」とは監視員兼釣り人。ということで彼は今度は料理人も兼ねることに。
僕らは1時間以上遊んだので、とりあえずシャワーを浴びて着換えることに。その間、即席料理人は包丁を持ってきて見事にさばいて刺身の山を作り出している。みんなして3切れずつくらい口に入れる。ぷりぷりしてこりゃ旨い。マルチ監視員は今度はどこからかアロエを探してきて2枚に下ろして「日焼け対策に」と皆に配ってくれている。赤く焼けた皮膚にひんやりと気持が良い。もう最高です、とお礼を伝えて僕らは浜を去る。途中でガソリンを入れたらリッターあたり137円とこれまた離島価格に驚き。
さて昼飯でも食うか、とクルマを反時計回しに戻して、今度は山の中腹の「
屋久杉自然館
」へやってきた。まずは自然食レストランで冷やしうどんを食べる。次に、自然館に入り団体さんに紛れ込んで解説を聞いたり、ビデオを観たり。屋久島の歴史が分りとてもためになった・・と思ったら居眠りしていた。1時間以上、ぼーっとした後、お土産など買ったりして、最後に館長さんに入り口で写真を撮って貰う。
またも時計回りに南進していると今度は大雨が降ってきた。スコール、という感じである。「
ぽんたん館
」というお土産屋さん(?)で車を停めて雨宿りすることに。いくつかお土産品を選んでいたら少し小降りになったので、そこから歩いていけるという
トローキの滝
へ向かうことに。小降りとはいってもけっこう激しく降っている。「濡れるの嫌だ」とかブツクサ言っていた息子が急に興奮し始めて目を輝かせる。たくさんの沢ガニが足下を横歩きしまくっているのだ。なんでもカニを見たのが初めてだという。そうだったっけ。土砂降りに近くなってきた中、木のトンネルを進み、行き止まりの石の上でようやく展望が開け、トローキの滝を見ることができた。とても美しい光景だったがとりあえず濡れるのも限界だし、足下も危ういので写真を2枚撮って引き返すことに。
クルマに戻って今度は上流の
千尋の滝
を見に行くことに。雨はようやく上がりだし、すると今度は温められた路面から猛烈な蒸気が対流し始めた。これが雲になってまた雨が降るんだぜ、と科学の講義にはもってこいだ。千尋の滝の駐車場に停めて、しばらく歩くと勇壮な景色が目前に広がる。左側の山は自然の滑り台だ。実際に上から眺めたら怖いだろうなあ。横浜のインターコンチネンタルホテルとどっちが怖いだろうか、などと無駄な想像を繰り広げる。
さて、またもクルマで走り始め、途中の屋久杉加工工場兼お土産屋で母へのお土産を調達したあと、いったんペンションへ戻り、風呂支度をした後、すぐにクルマに戻って今度は栗生海岸のさらに向こうの青少年旅行村の先にある
タイドプール
へ。午後6時の干潮に合わせてやってきたのだが、潮が引いた後に取り残された水溜りにいろんな生物が観察できる、ということなのだ。まず足を踏み入れてビックリ。水がとても熱い。これなら熱帯魚でもOKだな、と思うくらい。しばらく腰を据えて眺めていると、とても臆病な生き物たちが巣の穴から顔を出したり、尻尾を出したりしながら、たくさん息づいているのが見渡せる。息子にも生き物と環境の大事さが少しはわかったのだろうか、とふと見ると立ちションベンしているではないか。お、お前というやつは・・・DNAが濃すぎるのか。
さて、帰りにまたも
尾之間温泉
に入って宿へ戻る。今日は外で楽しくディナーだぞ、と主人から言われていたので相当期待していたのだが、あいにくの雨でいつもの食堂で。またもビール2杯空けて、2人して早寝するのであった。今日も楽しかった。
6
水
台風だ、帰る僕らをまだまだ待っている島のミラクル
早寝だなんて、慣れないことを続けるもんじゃない。朝3時に目が覚めてしまったではないか。やることも無いし、ベランダから星を眺めてみたりしていたがどうにも寝付けず、仕方なくパソコンを広げて日記を書き出す。意外に時間がかかるもので、あっという間に6時になる。少しは寝ないと運転に支障をきたすか、と30分余り寝ていたら息子が起き出して叩き起こされる。仕方なく朝食を取り、さて、今日は昼の宮之浦出発だから午前中は何をしようか、としばし考える。まあ考えていても仕方ないか、とペンションを清算して、今度は3人できますね〜とか言って宿を立つ。
台風前の不気味な天気の中をまたも栗生の
タイドプール
へやってきてしまった。昨日は夕食の時間を気にしてゆっくり観ることができなかったので、再度挑戦。さすがに波が高くなっていてこれまた勇壮な景色でありました。昨日のまんぼう号も浮かんでいる。昨日の小便で希少種が絶滅してはいまいか、と少し心配だったが幸い目に見えて白いお腹を見せた魚が増えているってことも無さそうでちょっと安心。だんだん南国的な日差しが強くなって来たので、ここは切り上げることに。
だんだんと細くなる道路を北へ進むと
大川の滝
(おおこのたき)の標識を発見。たいそう景色の良いところだと書いてあったので、思いつきで道を上がってみる。おお、これは来て正解だわ、と勇壮な滝に感激。さて、クルマに戻るとさらに細くなっていく道路をゆっくりと宮之浦へ。前を行く軽自動車が不意にブレーキを踏む。あぶねえなあ、と思って前を見ると・・・なんと野生の猿と鹿がたくさんいるではないか。いやはやなんと非現実的な景色。息子は最初ぽかんとした後、大騒ぎである。騒いでも道を退く気配も無い彼ら。悠然と鹿と猿とでくつろいでいるのである。さすがは世界遺産なのである。
さらに道を進んでいくと、今度は
屋久島灯台
の標識を見つける。細い道に車を入れると、他の観光客もレンタカーで来ているようだ。灯台そのものには入れないようなのでとりあえず記念撮影をして終了。こんだけ晴れ上がると白い建物は何でもギリシア的に絵になるものだ。さて、クルマに戻ってしばらく走っていると今度は
ガジュマル園
の看板。ここも入ってみることに、入り口で2人分300円払って中に入り、15分コースを歩いてみることに。なるほどたくさんのガジュマルが所狭しと並んでいる。その分、蚊もたくさんいるようだ。そのせいか足早に歩いたみたいで、5分くらいで回りきってしまった。
ようやく
宮之浦
の町に入ってきたようだ。フェリーの出発まで2時間余り。とりあえずお土産と食事を、ということで、
屋久島観光センター
へ。会社にお菓子と、僕は自分に焼酎を、息子はウミガメのおもちゃを買って満足そうだ。二階に上がってラーメンでも食うか、とメニューを見たら
かめのてラーメン
とある。変な名前、地名か何かだろうか、と息子にはそれを、僕はトビウオの刺身定食を。ラーメンが来て、ギョッとする。本当に亀の手が入っているではないか。思わず店員さんに「いいんですか、こんなこと」と尋ねると、「いえ、これは亀の手に見えますが、貝なんです」とお答え。ああなるほどね、そりゃ旨そうだな、とも思えないわけだけど、さっきウミガメのおもちゃを「可愛い!」とか言って買っていた息子は気にせずムシャムシャ食べていたようである。
さて、時間も迫ってきたので、港にクルマを進めて、諸手続きを。なんかほっこりしたのでつい缶ビールを買い込む。台風が迫ってきたせいか、やたら本土へ帰る客が多い気がする。こりゃ早めに船内の居場所を確保しないとな、と思っていたが、なんだかクルマを船に誘導するスピードがすっかり南国的になっているのである。気がついたら、クルマを運ばない一般乗客が次から次へと船へ吸い込まれて入っている。だのにクルマの列は微動だにしない。結局船にクルマを入れたのは出発予定より30分も後であった。2人で船室へ入ると案の定どこもかしこも人だらけ。行きがけに見つけたラウンジも当然人が満杯。仕方が無いので近くの床上を領域確保して座り込むことに。まあしゃーないわな、と缶ビールを開けるオヤジとひたすら漫画本を読み耽る息子。これじゃちっとも旅の効果が出てねぇなぁ、とパソコンを開けて日記を書き始めるオヤジ。まあこれもなんだか。ということで帰りの4時間は疲れもあってか、どろ〜んとした時間の中で過ごすのであった。
目が覚めると、窓の外に
開聞岳
が見えていた。すっかり鹿児島に近づいていたらしい。海の風にあたっていると今度は右手に雄大な桜島の姿が徐々に大きくなってくる。船首付近で働く男たちの姿をぼーっと眺めているのはとても気持が良い。やっぱ働かずに労働者を観察するのは最高やなあ、とこれまた堕落した考えが。さて、そろそろ運転席へ戻らねば。長い時間を待たされてようやく船外へ吐き出される。さあて帰るのだぞ、と高速ICを目指して走り出すも、ちっとも緑色の看板がない。そのうち大渋滞が始まる。しかしいっこうに高速に乗る方向が明示されないのだ。こ・・これが噂に聞く薩摩藩の陰謀か・・・と迷路に嵌りかけた時、ようやく平成の世の緑色看板を発見。もう高速に乗ったらこっちのもんだもんね、となぜか強気になってみたりして、あとは2時間弱の
八代
までのドライブ。夜8時過ぎにようやく実家に到着。妻も待っていてくれて、まずはシャワーを浴びた後、ビールを飲みながらお土産を拡げたり、デジカメの写真をパソコンで見せたり。とにかくはまあよくぞ無事に帰って来てくれたってんで、ホッと一息、僕はそのままベッドで大の字でまだ続けるか早寝早起き。初の親子珍道中は結果大成功で楽しい体験となりました。ここまでの長文を全部読んだ人、何人いるのだろう(笑
7
木
日常への回帰
はてさて今日から日常に戻らなければ。朝から社員に土産物を配り、10時から税理士監査。昼食後、たまりに溜まったメールの返事を一気に書上げる。でもなんだかフヌケタうな一日。どうも大型台風が上陸するらしい。テレビやラジオで騒いでるようだ。ということで夕方は早めに仕事を切り上げ、家族3人+犬で自宅へ戻る。家が飛ばされぬよう、準備せねば。
8
金
台風の中、COPEN納車さる
いよいよ大型台風上陸か、というわりには何てことなく、ただちょっと雨風が強いかなあ、くらいで夜が明けた。朝一で歯科医院へ訪問すると、アメリカの有名な先生が今朝亡くなられたとのこと。対応策を打ち合わせた後、自宅に戻りあちこち連絡。熊本に何度も来られ、いろいろと世話になった先生なのである。73歳とはあまりにも若すぎる。
さて、台風はどうってことなく四国方面へ過ぎ去ったらしい。よし、これで無事クルマを取りにいけるぞ。そう、さる6月4日にオーダーした11年ぶりの新車の納車日なのである、今日は。なんでこんな日に台風が来るかな、と我が身の不運を恨んだが、ところがどうやら悪運のほうが台風を追払ったらしい。
ということで、1時過ぎに家族三人でダイハツへ、。新車といっても軽自動車なのである。しかし軽自動車と言ってもCOPENなのである。2シーターオープンカーなのである。ふふふ。思えば10年前、もうちょっとのところでHonda BEATを買いそうになったのだが、「いやまてそりゃないだろう」と思いとどまってアスコットイノーバを購入。以後10年、とても力強く走りつづけた愛車もそろそろ18万キロを走破し、燃費や維持費などを考えたら、もう少し小さなクルマに買い換えた方がよろしいのでは、ということになっていたのだ。かといってミラやアルトを乗り回すってのもなんだか虚しい気がして、悩みに悩んで選んだのがCopenという、考えようによっては実用性ゼロの4輪バイクのようなクルマなのであった。とはいっても僕の移動の殆どは会社への往復100km、ほとんどが一人、荷物はパソコンバッグだけ、という生活なので特に是といって問題はない。まして毎日の出勤が楽しくて、ついつい業績も上がってしまうだろうという希望的観測のオプション付なのである。まあそういうわけで(長い言いわけ)、無事新車はうちのおんぼろ車庫に納まったわけである。息子を友人宅まで連れて行って、その後妻とちょこっとドライブ。台風が去ってすぐなのであいにく小雨模様だったが、直射日光に晒されて「これ使えねえじゃん」ととか言われなかっただけ吉か。
夕方、仕事を再開。近所の歯科医院へ寄ったら、「街まで乗せていってくれ」だそうだ。いきなり初日からお客さんを乗せることになってしまった。いろんな言いわけを呟きながら30分ほどのドライブ。あまり車に詳しくないお客さんだから、まさかオープンカーとは気付かなかったであろう。その後、研修会の講師の歯科医院で打ち合わせをした後、若い先生たちと近所のレストランで食事。深夜まで研修ビデオの撮影を行なった後、Copenで家へ戻る。立体駐車場の兄ちゃんが「走りはどうっすか」なんて聞いてくれるのもこれまた楽し。
9
土
慣らし運転兼鹿児島出張
現代の乗用車に慣らし運転は不要だ、という意見も多いし、実際ディーラーにもそう言われたのだけど、なんとなく後悔したくないという理由だけで、1,000km程度はあまりまわさず乗り回す、ということを自分に課してみる。たまたま鹿児島で仕事があったので、今回は高速を使わず、国道で往復500kmほど走ってみることにしようと決めた。
朝は妻と近所を犬の散歩。10時過ぎにさっそくフルオープンにして自宅を出発。オープンにすると、本当に荷物を置くところがなくなるのだ。助手席にパソコンと着換えの入ったナップサック、スーツの上着、デジカメ、CDなどが散乱した状態になっている。どれくらいの音量でCDを聞いたらよいのだろう、近所迷惑にならねば良いが、なんて自意識過剰気味の心配をしながらそろりそろりと発進。しかしながら日差しは真夏のそれである。時間とともにぐんぐんと気温は上昇。「いかん、このままでは気を失う」とオープン走行を諦めたのは走り始めて40分後のことであった。
1時間ほど走って誰もいない会社へ到着。明日の資料のプリントアウトだけをするつもりがつい仕事に身が入ってしまい、1時間以上没頭してしまった。午後1時過ぎに再び国道3号線を南進する。さて、ここからはひたすら音楽を聞きながら走るのみだ。音楽は事前に準備したThe Beatlesをほぼ全作。気分は1962年、生まれる3年前の若者になりきって一般道をひた走る。いままで乗ってきたHONDA車と味付けがかなり違うし、できるだけ回さないように乗っているので、どうも緊張しているようだ。途中、道の駅で食事。なんか駐車場に置いているだけで傷つけたりされそうで離れるのか心苦しい。かなり自意識過剰だ(笑)。 鹿児島県に入り、吹上浜を横目に見ながら走りつづけ、ちょっと休憩した時に」外に出てみたら少しは日差しが穏やかになっていた。時計を見れば午後4時。思い切ってオープンにしてみる。エアコンを動かしながら走ってみたらどうやら大丈夫みたい。【教訓1】:真夏は11時〜16時はオープン不可。
夕方18時を回る頃、ようやく鹿児島市内に入る。市内に入るといきなり渋滞し始めた。やっぱオートマにしておいてよかったな、と感じる瞬間。しかし排気ガスは容赦なく僕をじかに包む。鹿児島市内の案内の悪さはつい先日感じたばかりだが、今回は天文館を目指す、ということで、そんなに心配していなかった。しかしやっぱりホテルに辿り着くまではかなりの右往左往。携帯電話片手にホテルの従業員に誘導してもらったのだが、まあこういう時はオープンは便利。視界は最高なのである。だが見られる方もその通りで、全身で「今道に迷ってますが何か」と主張しているのは考えてみればいたくみっともないのかも。
予定より遅れてしまったので、スーツにも着換えずTシャツ&ジーンズ&サンダル姿でスタディグループの懇親会へ参加。「ヒッピーが来た」と歓迎される(苦笑)。久々の参加だったので楽しくお酒を飲み、二次会はワシントンホテルの1階にあるBeatlesフリークの喫茶店で打合せをして解散となった。ホテルに入り、カウンターで知り合いの先生を見つけたので、そのまま外出、近所のちゃんこ屋でもう一杯。いやー今日はなんか濃い一日でありました。
10
日
鹿児島から高速で戻る
犬の散歩し始めると朝は必然的に早起きとなる。ホテルで目が覚めると6時。しばらくPCで仕事したりして朝食を取った後、9時半には地元の歯科商店へ向かう。今日の研修会の会場なのだ。さすがに今日はスーツ姿に着換えていったので、昨日の先生に会う度に「あれ、どうしたの、今日はまじめじゃない」などと冷やかされる。
昼休みはここの社長と打ち合わせ。先生方と一緒にお弁当をご馳走になる。その後、仕入先の営業も参加して打ち合わせなど。午後はほとんど研修には参加できなかったが、来年のコースに向けて有用な打合せをすることができた。15時過ぎ、セミナーは終了し、講師を僕のクルマで鹿児島空港までお送りすることに。駐車場に参加者の先生方が集まり、「ではショータイムです〜」とフルオープンにすると「おおお〜」という賞賛とも失笑ともつかぬお声をいただく。まあ考えてみれば皆さんその気になれば本物のベンツSLに乗れる人たちだっていう状況もあり、洒落として受け止めてもらえたような・・・
さて、格好よく発進し、このクルマで初めてインターチェンジをくぐり、高速で一路鹿児島空港へ。旧知の先生とは最初Beatles談義などで盛り上っていたが、そのうちだんだん言葉かずが減ってくる・・・暑いのである。お互い同時に「脱水症状・・・」とユニゾってみたりする。「来年のコースは1月からですから僕が空港まで迎えにいきますよ、このクルマで」「いや、無理しなくて良いよ、バスで行くからさ」なんて会話が途切れ途切れに・・・
空港でアイスコーヒーで水分補給、ようやく本来の水分含有率を取り戻した先生をお見送りし、さてこれから熊本へ帰るか、と。けっこう遅い時間になったので、このまま高速道路で帰ることとした。昨日発見した法則の16時を過ぎているので、ここはやはりフルオープンで。ぎゅい〜んとエンジンを4000回転まで回して颯爽と走行車線を北上。このクルマ、なんか乗ってみるとちっとも飛ばす気分になれないのだ。マターリと90km/hくらいで走行する雰囲気が合っているようだ。ということで音楽を聞きながらチンタラ走る。えびのに差し掛かりトンネルに入る。・・・初めて味わう恐怖感。ここは対抗車線で6kmを越える日本でも有数の高速トンネルであった。しかもサングラス(強度の近眼なので度付)したまま突入してしまった。排気ガスで窒息死やしないか、とびびったが、天井についているジェットエンジン様の排気システムのおかげで意外に空気は確保されているようだ。ただし、その排気音がものすごい。また対抗車線を容赦なく大型トラックやバスが突っ込んできて、エイヤっとディーゼル煙を撒き散らす。おまけに車体が低いのでライトがめっちゃまぶしい(サングラスしてても)。そして何より気温が急上昇してとても暑いのである。汗なのだか冷や汗なのだか知れない液体が首筋を伝わる。排ガスを吸いたくないのでなんとなく呼吸が浅くなる。これが若いおネエちゃんとの初デートだったりしたら、二度と助手席に座ってくれないだろうなあ、なんて暢気なことを考えながらもけっこう必死で運転。けっこうヒヤヒヤものです。その後、肥後トンネルも同じく6km超の大トンネルなのですが、こちらは対面通行でないのと、二回目で慣れたということもあって、余裕でドライブ。暗くなってようやく自宅に帰りつき、なんだか異様に疲れた体をシャワーで癒す。しかしそれも心地よいのだ。
11
月
夕立
朝から近所の歯科医院でレジの相談。面倒なのでアスクルで買ってもらうことに。デフレなのかずいぶん安くなっている。その後、何軒か訪問する。一軒で「おおっ」とクルマに注目され屋根を空けて見せたりしてショータイム。その後いったん自宅に戻り、息子を乗せて会社へ。事務が早退した後、店番をしていたら突然の雷雨が。夕立である。これだけ暑かったらそりゃにわか雨も降るわな。土砂降りの中、営業が帰ってきたら、店の直前で営業車が故障したという。多分プラグが濡れたんだろう。それくらいひどい雨だった。夜は屋久島日記を更新。
12
火
年間契約
朝から配達のパートが病院へ行ってくるという。この会社で健康なのはもはや僕だけか。事務も午後から早退するという。夕方、メーカーさんの所長がやってきて来期の年間契約について商談。ようは数字が足りないらしい。ご本人の考えと会社の考えと、実際の現場と、まあいろんなしがらみがありますわな。自然体で臨むことに。夜は先日亡くなったレイモンドキム先生の追悼サイトを作る。5年も6年も前に撮ったデジカメ写真をマジマジと見ると、なんだかんだいってお客さんも自分も確実に年をとっていることがわかってしまい感慨深い。
13
水
A Hard Day's Night
多くの仕入先は今日から盆休みである。しかし顧客の殆どは今日まで診療なのである。ということで我が社は当然顧客に合わせることに。しかし、発注する仕事もないので、事務は午前中で返す。午後からは電話も少なく、みんな気分的にはすっかりお盆休みなのか。妻に仕事を任せて僕はTシャツ1枚にとなり、荒れ放題だった事務所の1階を大掃除。汗だくになる。社員がみんな体調を崩すのはどうやらこの1階部分にあるようだ。
夜、妻と一緒に自宅に戻る。昨夜、NHKのBSでやっていたビートルズの「A Hard Day's Night」をビデオに取っていたので一人で見る。いやあ面白い。たしか、中学生の頃、熊本市内の映画館でビートルズ特集をやっていて、そのとき観て以来である。単なる紹介映画化と思っていたが、しっかりとストーリーもあり、今でいうプロモビデオの要素もあり、しっかりと楽しめてしまった。もちろん興味のない妻は高いびき。明日は健康診断なので本日20時以降は飲食不可なのである。妻にとって、映画を見ながら口を動かさないことは何よりもたえられないことらしい。僕はなんとも感じないのだが。
14
木
健康診断とデート
8時から日赤病院で年に一度の健康診断、妻と二人である。大雨の中受付を済ませて、浴衣みたいな着衣に着換えて順番を待つ。いろんな検査が首尾よく進められる。初めて日赤で健康診断を受けたときに比べて格段にスムーズになっている。これも彼らの進歩だろう。それにしてもどうして目や耳の検診はあって、歯は無いのだろう?歯は重要でないということか。それとも単に扱いが違うだけ?答えは恐らく施設と人が足りないってことなんだろうけど、こんなことこそ、赤字ででもスタートしたらもっと患者と臨床家のためになると思うのだけど。なんてことを考えながら、携帯電話とPalmを片手に暇つぶししながら午前中ですべての検査を終了。食券を貰って喫茶店で軽く食事。バリウムの後に米を食べてもあんまり味を感じないのだが。
自宅に戻り、午後は昼寝。夕方、妻がデートしよう、というのでバスに乗って街中へ。息子は昨日実家に預けてきたのだ。上通りの壱之倉庫というビヤレストランで食事。安くて美味しいと妻は大満足。その後、勢いがついてしまい、そのへんのカラオケボックスに入って2時間熱唱。22時になっていつものTwo-Fiveに乱入、気がついたら妻と2人でドラムとギター、どっかの誰かをボーカルに迎えてマスターにベース弾かせてDeep Purple大会となっておりました。で例によって午前3時に解散。妻は玄関前でゲロゲロ。なんともお洒落でない夫婦ではある。
15
金
恩師のお見舞い
朝からかなりな二日酔いで頭がガンガンしている。と、携帯が鳴り、高校時代の友人が熊本駅まで迎えにこいと。そうだ、今日は高校時代のクラブの先生のお見舞いに行くのだった。電話の対応で妻は気付いたらしく「ふん、女の子から電話ね」。なぜに僕よりも激しい二日酔いで熟睡しているはずの妻が。でも気がついたら僕は無意識に携帯を持って不自然に妻から距離をおいて話していたのだった。自分でも不自然だなあ。俺って正直なんだなあ。
それはともかく、ボサボサの頭でクルマに乗って熊本駅へ。彼女をピックアップして今度はもう一人の独身男性友人の家へ。突然行ったので彼も寝起きでぼーっとしていた。僕らは高校時代の弓道部の仲間である。先日彼とお見舞いに行った先生を今度は三人で行こうという企画。とりあえず飯食うか、と近所の中華料理店へ。あっしーのお礼ということで彼女の支払いである。昼過ぎ病院へ到着。相変わらずヒマそうにしている先生を3人で茶化して1時間ほど笑いっぱなしであった。その後、僕は自宅に、彼らは一緒に八代に行くというので別れる。
夕方ようやく二日酔いから抜け出しつつある妻を乗せて会社へ移動。二人してもう酒はやめとこう、しばらくは、と誓う。
16
土
copenで峠
人間その気になればどんだけでも眠れるらしい。朝10時まで、延々12時間の睡眠を取る。体調は完全復活である。昼過ぎ、妻と近所のラーメン屋で食事し、そのまま"かもなべ"家に乱入。単にcopenの自慢である。しばらく話した後、かもなべを誘い出してそのまま国道219号線へ。人吉までのくねくね道をガンガン飛ばしてみる。おお、けっこう走るんだ。
調子に乗ってそのまま八竜天文台へ。ここはかなりの峠道である。アクティブシフトを始めて本格的に使って攻めてみる。高回転域は以前乗っていたホンダのようにはいかないが、しかしサスペンションがキチっとしていて小気味良い。まだ慣らし期間中ということもすっかり忘れてガンガンに攻めまくる。いやーこりゃ快感だわ。おまけにオープンなのでものすごく視界がよろしい。光や風や音や匂いを感じながらしばしの悦楽に浸る。さいわい助手席のかもなべも吐いてはいないようだし。
すっかり時間を忘れてしまっていた。2時間あまりしてようやく戻る。実家に戻ると息子と妻と3人で犬の散歩を一時間。その後、両親と姉妹夫妻らと近所の中華料理で食事した後、花火大会。お盆らしい一日であった。
17
日
お盆休み最終日
午前中は事務所大改装パート2。一人で机や棚を動かしまくってなんとか形を作る。こういうのやりだすと止まらないのはDNAらしい。午後は息子とcopenで自宅へ戻る。ところが暑くてひまなのでもう一度息子を誘ってcopenでドライブ。阿蘇方面へ行く途中でふと思い立って入院している高校時代の恩師の病院へ。息子を紹介した後、車を自慢してあげる。その後自宅に戻り、copenを犬に代えて散歩。夜は自宅の庭で3人でバーベキュー。例によって僕は飲みながら庭で熟睡。どうして外で酒を飲むとすぐ眠ってしまうのだろう。妻に言わせると僕があまりに開放されすぎるかららしい。
18
月
換気のし過ぎに注意
朝から犬と1時間たんまり散歩する。おかげで体調も最近良い。会社の業績はまずは社長の体調管理から、と南下で読んだことあるしな。その後、初めてフルオープンで出社する。いやあこれは爽快である。極上である。しかし日焼けするだろうなあ。インターを降りたら蝉の鳴き声と共に熱射が襲ってきた。こりゃたまらん、と思わず屋根を閉める。九州での真夏のオープンは午前8時以降自殺行為となることを憶えた。
会社について、皆元気そうに出社しいているのでまあ何より、と幾つかの仕事を片付けていたら、午後、社員の携帯から電話が鳴る。「今、死にそうなんです、助けて下さい、ブチっ」・・・何が起こったんだ?暴力団に囲まれたか?事故に巻き込まれたか?最悪の想像をしつつ次の電話を待つ。どうやら気分が悪くなって車を止め、近くの民家に駆け込んでいるらしい。体中が痺れて感覚が無くなり、動けない状態です、と。とにかくは民家の方に場所と状況を聞いて現場に急ぐことに。幸い会社から15分程度のところである。こんな時にcopenは似合わないなあ。現場につくと、民家の方もおろおろしている。いまし方救急車を呼んだところだという。本人を見ると、顔面蒼白、ゼエゼエと息が荒く、不安そうな目で僕を見つめ返してくる。ネタ用に、とデジカメをポケットに忍ばせてきたのだがさすがに撮影している状況ではないな、と。とにかく熱はなく、意識もしっかりしているので落ち着くように伝え、救急車を待つ。こういう時に限ってなかなか来ないものだ。10分ほど待ってようやくサイレン音が聞こえてきた。
どうやら道が狭くてなかなか入って来れないらしい。救急隊員が悠々と歩いてくる。「すみません、とってもしんどそうなんです、ちょっと急いでもらえますか。死ぬかもしれないと言ってるんです」と言ったのだが、かの隊員は余裕の表情で「ああ、大丈夫よ、過換気だよ、電話で症状聞いてわかった」と、しゃくしゃく。ようやく本人を前にして「はい、息止めて」。それじゃ死んでしまいます、と言い返そうかと思ったが、どうやらこれは呼吸のし過ぎからくる症状らしいのだ。手馴れた誘導で本人を落ち着かせて呼吸をコントロールさせていく。ようやく担架が運ばれてきて本人は救急車の中に。とりあえずは搬送先を聞いて後で行くことに。民家の方は「心配要らないのよ、悪いところを切っちゃえば大丈夫なんだから」とすっかり最悪のことを考えているようだ。心配をかけてしまった。
搬送先の病院へ行き、救急治療室で点滴を受けている彼を見舞う。だいぶ落ち着いたそうだ。先生によれば過換気症候群はよくある病気で、それで死ぬことはない、たいてい精神的なものだし、とのこと。紙袋で酸素の吸いすぎをコントロールする技を教えてくれて、しばらく点滴。家族の方も揃ったようだし、とりあえずやることも無いので近くの喫茶店へ。遅い昼食を取った後、ぶらぶら病院へ戻っていたら古い知人とバッタリ。いちおうプロのギタリストである。前歯が無い。最近ちゃんとギター弾いてるか、とハッパ掛けられるも、さすがに社員がぶっ倒れている最中に音楽談義するのもどうかな、と思い早々に切り上げる。病室に戻ったらだいぶ落ち着いていたようなので、後は家族に任せることに。
夕方、仕入先2社と商談した後、先日から休んでいるパートと面接。どうやら結婚の予定が早まるらしい。ということで配達は不可能と判断。さっそく後継者を探すことに。午後8時、もう一人の営業が戻ってきて、一緒にさっきの民家へ。お茶菓子でお礼をいい、大して悪い病気でなかったことを伝えて、止めっ放しにしておいた営業車を引き取りに。ようやく会社に戻りしばらくいろんな対策を語る。その頃妻子は福岡港からフェリーに乗って新潟目指して航行中。少し遅いお盆休みなのである。そのまま疲れて実家で寝る。
19
火
ハローワーク
昨日の配送の件で朝から職安へやってくる。いるいる、人だらけ。こんだけ人がいたら良い人とも巡り合えるだろう。届出を行い、会社へ戻る。夕方問屋さんが商談。暢気なもんだ。この人たちと話すとなんだかホッとする。古き良き時代がまだ続いているような錯覚に落ち着くのだ。癒し系歯科企業である。問題は癒し料を誰が負担するかだけだが。夕方、熊本市内の歯科医院へ。パソコンソフトの質問を解決した後スタディグループの理事会。1時間で終了し、21時に一人でガストで食事しながらメールの返事を書いたりして、誰もいない家に戻って寝る。
20
水
でんたる器材ライブラリー完成
朝から今日も元気にオープンで出社。何があってもこれだけで快感。先日倒れた営業も元気よく出社し何より。午後からは来週の例会資料の制作。その後、新会社の新しいサービス「でんたる器材ライブラリー」をモディファイ。ようやく表に出せる状態になった。その後、明日からの出張準備。明日の朝早いので、深夜に自宅に戻る。県道と国道で深夜にオープンで疾走するのも悪くない。
21
木
熱海の夜
7時に起きて、copenで熊本空港の近くの民間駐車場へ。新車を駐車場に止めっ放しなんて心配でしょう、と妻はいうが、冷静に考えてみれば無人の自宅に止めておくよりよっぽど安心なのである。1泊600円だし。早く着いたので空港のレストランで朝食。待合所で地元の同業者のトップと会ったのでしばらくお話。なんでも新しいアイディアがあるという。それを聞いて後はお前がまとめろ、と。この間5分あまり。機内に入り、PCが使える状態になったので立ち上げてパワーポイントでさっきの話の企画書をまとめる。この間40分。着陸し、空港バスで新横浜まで揺られ、そこから熱海までの新幹線の中でさっきのプレゼンを見てもらう。よし、この方針でいこう、とはかのダサ過ぎる会計事務所のCFではないが、そんな感じになって熱海駅に到着。駅前のビルのレストランで昼間っからビールを飲みながら次第に構想は固まっていった。
ほろ良い気分で送迎バスで熱海大観荘へ。業界の主だった顔ぶれが一同に揃う夏季全員懇談会という会合である。もちろん僕は今回初参加。会費を払って会場に入るとひろーい会場にプレイヤーが揃っている。おお、これがギョーカイの中枢部なのね。今回のテーマは「歯科業界を元気にしよう」である。それぞれが持ち時間の中で提言を行うというもの。
僕はさっき飛行機の中で5分で考えてPCに入れておいたのでそれをPalmに渡してそれで発表することに。我ながらなんとまあナメた奴か。まあいつも言っていることを短くしただけなんだけど。「もっと医療という側面を重視しよう、一患者として望むべき歯科医療をもう一度考え直そう、そのために臨床家についてもっと勉強しよう」というようなことを言った。後の方の意見といえば、それはもう(以下略)
夜は懇親会。この手の宴会は殆ど初参加なのでビール瓶を持ってあちこち回る。殆どの方は既に顔見知りなので特に緊張することも無く、べろべろになることも無く、なんというか無難な感じでご挨拶できた。僕も大人になったもんだ。
その後お開きとなり、修学旅行のように各部屋を酒持って襲撃しながら次第に酔っ払っていく。ついに最後は某メーカーさんの番頭さん相手に議論を吹っかけ、1時までエキサイト。いかん、悪い癖が最後に出たわい。すんません、先輩諸氏。
22
金
久しぶりの水上へ
温泉宿に泊まるとどうしても3回は風呂に入らないと勿体無い気がしてしまう貧乏性なのである。だが今回は昨晩暴れたので、今朝入っても2回。6時に起きて風呂へ向かう。あーくつろげます。大きな部屋で朝食を皆と食べて、解散。ほとんどの人はゴルフへ向かうが僕はしないので、部屋でゆっくり。同室の社長にタクシーで駅まで送ってもらう。
東京での次の予定は13時。ちょっと時間があるので観光でもすっか、と思ったが熱海はけっこうあちこち行っているので小田原で途中下車してみることに。普通列車でしばらくすると小田原駅。何も考えずに出口に向かうと何にもない風景で失敗したかな、と思う。しかし反対側に出てみるとたくさん建物があって安心した。とりあえず城へ、と歩き出す。汗が噴出す。今朝サウナに入ったにもかかわらずまだ汗が残っていたか。いや昨日のビールまで全部一斉に吹き出す。早朝の小田原城へ登ってみるがいやはやとにかく暑い。誰だ今年は関東は涼しいとか言ってたのは。
日本史にあんまり詳しくないが、いろんな展示物があって面白かった。城を降りて喫茶店でアイスコーヒーで水分補給、すっかり体力もなくなったので駅に戻る。新幹線で東京へ。
東京駅で知人と待ち合わせして商談。ついビールを飲みながらで後半は足下もふらつく。そのまま上越新幹線ホームへ歩き、時間ギリギリで乗り込む。目指すは上毛高原駅。実に1年半ぶりの妻の故郷である。妻と子供と犬が帰っているので土日に僕も行ってみようってことだ。
70分の乗車であっという間に到着。駅まで妻が迎えにきてくれていた。格好よく登場するつもりが、(あれ、チケットどこ置いたっけ?)と不安になり、(改札口の前でポケットをまさぐるようなカッチョ悪いことはやめようぜ)と、階段の途中で立ち止まり体中のポケットを探索する。ようやく発見し、得意満面で妻に再会したら「階段の途中で暴れている下半身が見えたよ。情けない。」と一言。ふん。
車中、いきなり資金繰りの話題から攻められ、ビール漬けの脳味噌が覚醒しないまま久々の温泉街へ。皆に迎えられ、とりあえず一休み。まだ明るいので息子と犬とそのあたりを散歩に。なんだかんだで40分くらい歩いてしまう。夜は例によって宴会モード。屋久島などの写真を僕のノートPCでプレゼンし、それに息子が解説をつけて皆を大笑いに誘う。楽しい夜だ。
23
土
山あいの休日
早朝から妻と犬の散歩に出かける。履いて来た革靴しかないので、台所用の健康サンダルで歩くことに。ところが途中で足の裏全体がマメができたようになって痛い。こんなもんで外を1時間も歩くなってことだろう。温泉街から川沿い、山あいを抜ける。妻が育った街だ。そう思うとなんとなく酒臭く感じるから不思議だ(笑)
最近は冬はスキー、夏はラフティングと今風の観光も盛んなようだが、やっぱり温泉街はいまだに射的場が並んでいたり、浴衣姿の家族連れが歩いていたり、と古き良き時代を思わせる街だ。さすがに犬を連れて歩いていると地元民に見えるらしく何度か宿への道を聞かれたりする。当然すこぶるイイカゲンな答えを返すことになる。ずいぶん不親切な住民のいる街だと誤解されたことでしょう、すんまへん。
ここには「犬のトイレ」なるものがあちこちに設置してある。なんでもここに大便を入れておくと、さらさらの肥料に変わるそうなのだ。熊本に設置したら暑さで1時間で悪臭を放ちそうな気もするが。
少し昼寝して、3人で近くのショッピングセンターへ出かける。妻らはフェリー+クルマで来ているのでまるで熊本にいるが如く買い物している。けっこう安いらしい。僕と息子は退屈してソフトクリーム舐めたり。その後、喫茶店でビール飲んで戻る。またも昼寝して、夕方は息子と犬の散歩。デジカメを持っていろいろ撮るのが楽しい。夜は庭でバーベキュー大会となり、大勢が揃って大宴会。息子の誕生日祝いということでケーキが用意され、主人公は大はしゃぎ。大人たちはそれ以上にアルコールの勢いも借りて大はしゃぎ。みな楽しそうだ。
24
日
熊本へ戻る日
昨夜早く寝すぎたせいか、朝5時過ぎには目が覚める。仕方が無いのでテレビ見たりパソコン広げたり。7時過ぎ、妻と犬の散歩に出かける。今度は山奥に向かって歩いてみる。夏の早朝の高原は気持が良い。ところが妻が「熊が出るからね」とか言うので途端に怖くなって引き返すことに。どう考えてもこの子犬は熊を煽ることはあっても僕らを守ってくれるとは思えないので。
かなり長時間歩いて、写真をとりまくって、家に戻るとようやく眠くなって二度寝。騒がしいので目が覚めると義弟親子が来ていた。 挨拶をし、そば食べて子供たちを近所の児童施設に連れて行ってしばらくそのあたりをブラブラ。静かな休日だ。1時に妻のクルマで新幹線の駅まで送ってもらい、東京行きに乗り込む。山手線、モノレール、と乗り継いで羽田空港へ。上毛高原駅で買ったビールをずっと飲みそびれてて、ぬるくなったところを空港で一気呑み。飛行機の中では熟睡。
空港から自宅へ戻り、近所のスーパーで弁当と明日のパンを買って、溜まった新聞を読んだり。21時からCSでF1ハンガリーGPを観戦。久々に面白い。さ、今週はたんまりと休んだぞ。明日からまたいろいろたいへんな日常が始る。
25
月
面接の日
朝一番でフルオープンの出社。昨日は高原で散歩、今日はオープンカーで高速走行。おれってかなりの遊び人だったりして。やるなあ青年実業家。いや、そんな冗談を言っている場合ではない。今日はパートさんの補充のための面接大会なのだ。今回はいつも一緒に面接する妻もいないことだし、一番の部下である営業チーフとペアで7人会う予定。30分に一人ずつ予定しているので、終ったら15時である。いろんな人とはじめて会って話すのはとてもエネルギーが要ることだ。しかも評価しなければいけない。以前に比べたらずいぶん慣れてて減っちゃらなんだけど、営業君はぐったり疲れていた。今度は彼にすべて任せてみようと思う。いつも悩んだ時に読むドラッカーの本にそう書いてあったんだもんね。夜はまたもフルオープンで今度は田んぼのあぜ道を疾走する。
26
火
おかげさまで慣らし運転完了しました・・・
朝一番からいつもの会社でコンサル。午後は中心部の歯科医院を2軒ほどメーカーさんと同行営業。いったん自宅に戻り、メールチェックしいくつか仕事を追えた後、歯科医院でスタディグループの例会のお手伝い。いつもより人が多い今回は熱気と共に症例発表がスタート。首尾よく進んでまあオッケーだな、と思った瞬間、携帯がなる。営業がまたもや過換気の発作を起こして助けてくれ、救急車呼んでくれ、とヘルプである。とりあえず落ち着いて安全な路肩に寄せて、と指示。トンネル内ではないことを確認し、ハーザードつけて社内にいろよ、と指示して、生まれて初めて携帯で119をコール。我ながら落ち着いて状況を説明し、とにかくは本人の携帯に電話してもらうことに。例会に参加しながらも刻々と隊員から電話で報告が入る。頼もしい限りだ。もう一人の営業に電話して状況を説明し、待機してもらうことに。本人は不安のあまり死にそうだ、と訴えているが原因がわかっているだけにこちらは落ち着いていられる。無事救急車に搬送されたことを確認したら今度は営業車の引き上げだ。レッカーされたらいくら掛かるかわからない。なんせ次のインターまで50kmはあるのだから。わけを話して例会を中座、愛車に乗って30分後に八代ICで営業を拾ってそのまま人吉ICへ。行ったん出てもう一度Uターンし、しばらく行ったところでハザードを止めて高速機動隊がガードする我が社の営業車を発見。我ら急ごしらえの代行運転部隊は今月2度目の搬送開始。僕はそのまま八代ICまで行き、一旦出て給油し、またもICへ入りまたも人吉へ向かう。何故か知らんがわざわざ途中でUターンして人吉の病院へ運ばれたらしい。どーして?おかげでまたも慣らし運転を継続。それにしてもこのクルマ、よく走る。人吉市内に下りて病院を探す。ようやく見つけて彼を回収。大丈夫か、と聞けば「腹減ってます」と。それが原因じゃないか、と笑いつつファミレスで二人して食いまくる。そういえば僕も何も食べてなかった。さあ、帰るぞ、とインターに入るところで、彼が「実は高速、トンネルが不安で」というので、「もっと怖い思いさせるかもしれんぞ」と言いつつ国道で帰ることに。おかげでフルオープンにして右に左に振り回し、豪快にコーナーを攻めながらあっという間に会社に到着。彼は助手席で豪快に眠っていた。薬が効いているとはいえ、こんだけ眠れたら大丈夫だな。なんか今日はヘロヘロに疲れたな。寝たのは3時近くだった。
27
水
火星大接近
6万年ぶりだという。火星。だが、あいにくの曇り空。朝から先日の面接の二次面接。けっこう良い人がたくさん来てくれてどうしても決めることができない、というのでもう一度出てきてもらったのだ。じっくり話を聞いて、昼ご飯を食べたらさすがに眠くなり、1時間ほど仮眠。暑い。夕方からは溜まりまくった仕事を片付ける。メールの返事多数、回覧板制作、スキャンしまくり・・・・でも午前零時前には寝る。
28
木
新製品同行
出社して準備をした後すぐにクルマに乗って熊本市内へ。10時過ぎにメーカーさんの営業を拾って同行営業開始。新しい製品が出たというので、何人かの先生方にご評価をお願いするという仕事。COPENでの同行営業はこれが始めてである。お昼過ぎに入った歯科医院では昼休み近所のレストランで食事をご馳走になる。ビールが振舞われたがさすがに運転手の僕は遠慮。灼熱地獄の中、5軒ほど回って夕方、自宅の近所の居酒屋で明るいうちから食事。その後タクシーで街中へ出撃し、12時ごろまで飲み騒ぐ。なんだか学生時代のトイレネタを喋り倒していたような。
29
金
還暦祝い
二日酔い気味の目をこすって会社へ。週末のセミナーの軍資金を引き出し、歯科医院を昼休み訪問、午後からは2社の仕入商談をこなした後、またも高速道路で自宅へ戻る。バスに乗り換えて街中へ。18時から組合の会合と、その後同業社の会長の還暦祝いである。組合はいろんなことをやる。珍しく定刻より早く到着したので、会合も早めに始まり早めに終る。その後、懇親会ってことで、25名くらい集まり大宴会。料理もそこそこにあちこちのテーブルを回り酒を勧め、返杯を一気飲みし・・・徐々に記憶を失う。
二次会の会場が無い、というので昨日行った店に電話すると入れるという。15名で予約してご入店。いい客だよなあ、俺。ここでもあちこちのテーブルを回りなんだかよく憶えてない。その後、カラオケスナックに行って誰かと口論したような。4次会はまたも居酒屋に行ってにゅうめん食べてビール飲んで、気がつけば3時。さすがに2日連続は堪えたなあ。
30
土
阿蘇ドライブ〜アルコール2日目
朝寝するつもりが9時に会社からの電話で起こされる。パソコンを起動して対処。その後、目が覚めてしばらくテレビ見たり仕事してたり。12時に飯でも食うか、とcopenに乗り込み、ちゃんぽん屋に入る。うーんマズイ。天気が良いし、夜までこれといった仕事も無いのでオープンクルージングでもやりますか、と一人で阿蘇方面へ向かう。天気は曇り、夏場のドライブにはちょうど良い。アクティブシフトを小気味良く操作して阿蘇内輪山へ入る。そこから南阿蘇、中岳火口へとドライブ。うーん気持よすぎる。快感だ。火口までの有料道路の手前で車を止めて写真を撮ったり。ぱらぱらと小雨混じり。それにしても下界と違って涼しい。しかしこの駐車場にはやたら牛の糞がばら撒かれてるよなあ、それになんか生々しいし・・・と思っていたらすぐ近くから肥後の赤牛がにゅっと顔を出し、のそりのそりとcopen向かって歩いてくるではないか。我が愛車の内装色はこれまた派手な真っ赤である。牛、真っ赤、闘牛、と頭の中で連想ゲームが成立し、やばいんじゃ?と危険信号が点る。こそーりとクルマに戻り、目立たないようにエンジンをかけて何とかその場を立ち去る。いろんなことが怒って面白い。さて、そこから山を下り、俵山を越えて自宅へ戻る。やはり下界でオープンはまだちょっと暑い。
家に戻ると車を軽く水洗いし、ちょっと昼寝。考えたら昨日からほとんど寝てないし。夕方、スーツに着替えて、某先生の自宅経由で空港へ。さっき通った道を今度は先生のBMWを運転して通過である。このクルマ、それにしてもスイッチ類の多いこと・・・しかも速いし。まあcopenが4台くらい帰る値段だからそりゃそうか。空港で東京からの大学教授をお迎えし、中心街の焼肉屋へ。夏休み最後の週末ということで街は人やクルマであふれている。食事後、教授をホテルまでお送りし、その後また某先生に呼び出され高級クラブへ。2時間ほど飲んだ後、その先生のBMWを代行運転で僕の自宅まで運ぶ。明日のセミナーのため、朝6:45に迎えに行く、という約束で。代行の兄ちゃんとクルマ談義しながら家に戻ると1時。ああ、少ししか眠れない。
31
日
寝坊、セミナー、家族再会
気持よく寝ているのに携帯が鳴っている。何事か、と思えば福岡から参加する先生が会場がわからないと。時計を観ながら誘導していると・・・あれ、7時じゃん。たしか、6:45に先生の自宅に迎えに行く約束・・・と寝ぼけた頭で思い出していると案の定電話が鳴っている。「お前今どこいるんだっ!?」ってか。やべ。3分で歯を磨きながらスーツをまとい、スパイの如くBMWに潜り込む・・・あら、エンジンかかんねぇ。一瞬で脳味噌沸騰、何をやってもイグニッションのイの字も反応しない・・・仕方ないので持ち主に電話。「え、えんじんがかかりまひぇんが」・・まだ寝ているな俺。いろいろと試していると「ハンドルロック掛かってるんじゃない?」とのこと。確かにその通り。。見事にストレート6が蘇る。昨日の代行屋め、よけいなことしやがって・・・ととりあえず他人にあたりながらタイヤを慣らしてまだ目覚めぬ日曜の朝の街を疾走する。トカゲ目になった某先生を乗せ、平時20分で到着するところ10分以内を達成、無事ホテルへ。なんとか15分遅れで朝食へ。大学教授をホテルのロビーで15分待たせる材料屋もそうそういるまい。まあ何とか洒落の範疇で納めながら(そう思っているのは僕だけかもしれん)、研修会場へ移動。無事セミナーが始った。
今回のセミナーは解剖がテーマ。当然机の上には頭蓋骨模型が並べられ、プロジェクタからは死体を切り刻むビデオが流され・・・やっぱ医者になんなくて正解・・と確信。しかし科学番組を見ているような内容でとても興味深かった。大学の先生の話は眠たい、という業界の常識はもはや通用しない。彼らはある意味で教育のプロなのだから、と実感した。あっという間に予定時間を終了し、セミナーは無事成功に終る。
空港まで教授を見送り、自宅に戻る。さて、今日は妻子が実家から戻る日である。とりあえず洗濯だけはしておこう、と大量の洗濯物を洗濯機にぶち込み、終るまでビール飲んで昼寝することに。目が覚めたら洗濯が終っていたので、ベランダに干す。ああ、なんかよか気分ですたい。その後またも寝て、CSのテレビ番組などみて、うどん屋で夕食を取り、またぼーっとしていたら彼らが帰ってきた。夜もすっかり更けていたので、息子はすぐに寝て、妻ともビールをもう一杯飲んで乾杯。
それにしても今月はなんだかこの数年間で一番遊んだような気がする。屋久島、新車、熱海・水上・・・。40になる前に仕事も生活もいろんなことをやっておこう、と思うようになっている。今月は大作(?)になりましたが、飽きずに読んでくれてる方が妻以外にもいるとしたら、本当に有難う。
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