わが国の歯科医療は、明治後期になって、現行の歯科医療の基礎ができました。それは世界的に庶民の口に入るようになった砂糖の歴史と平行して進んできました。歯科医療そのものは相当古くからあったようですが、特定の階層のみに利用され、一般的ではありませんでした。
ものの本によると、紀元前六世紀(二五〇〇年前)ごろ、すでに黄金で作られた架工義歯(ブリッジ)が使用されていたらしく、エトルリア地方の墓地の中から発掘されて、いまでも、ベルギーの大学に保存されています。また、東洋でも仏典の中に”歯木”という刷子と考えられるものが五〇〇〇年前に記載されています。
わが国では、江戸中期(三五〇年前)ごろ、武士、大商人、地主等々の階層で義歯(入れ歯)が重宝されるようになり、職人の仕事として木彫の義歯を作る技術が江戸を中心に定着し、やがて歯痛止め等は、香具師(やし)に受けつがれて地方に広がり、明治後期ごろまで続きました。
一般の医療は、直接生命に関係するので、広い層に存在しましたが、歯科医療は、よりよい食生活をのぞむ特定の階層のみに限られた医療とし存在し、一般的ではなかったものと考えられます。