柿下顕典さんのご冥福をお祈りいたします。


長崎県の歯科器材商である柿下商事有限会社の専務、柿下顕典(かきしたあきのり)さんが1999年3月18日朝、他界されました。
享年41歳でした。福岡のホテルに宿泊中、5階の窓から誤って転落する不慮の事故死でした。

彼は歯科器材商を営まれている柿下謙市さまの長男として生まれ、東京の大学を卒業後、歯科業界の発展のために人生を賭けてこられました。
ただの物売りではなく、本当の意味での医療への貢献とはどういう事か、という命題に対して常に真剣に考えられ、私にも多くのことを教えていただきました。
彼との付合いは1991年頃からですが、ともに東京やアメリカなどに出張し、夜な夜なホテルで語り明かしながら、歯科の将来について時には真剣に、時には笑い飛ばしながら、一生懸命考えて、そして実行してきたつもりです。

5年ほど前に彼の長崎の会社を訪れ、たくさんのノウハウと、そして彼の考えと悩みに触れ、ともに発展を誓ったことが思い出されます。
このような形でまた、彼の会社を訪れるとは、本当に信じがたい気持ちです。

最近ではメールや携帯電話でお互いを励ますこともしばしばでした。
亡くなる前日にもホテルの部屋から電話を貰い、ハードレーザーの販売について相談を受けたばかりでした。
「この業界もいよいよ儲からんごつなってきたばいね」「ちーっとは考えないかんばい」
いつもの彼の言葉がまだ耳に残っています。

奥様と二人の幼い娘さんを残し、想い半ばでこの世を去ることになった顕典さんの無念さは想像することもできません。
また、窓からコケた瞬間の彼の心情を思うと言葉がありません。

昨夜は彼の会社でお通夜でしたが、本当に多くのお客様達が遠方より駆けつけられ、社員さんとともに涙を流している様子を目の当たりにして、彼のやってきたことのひとつの意味を見出せたような気がしています。

残された私たちとしては、いたずらに感傷に浸っているばかりではなく、彼のやろうとしていたことの意味と、今後の正しい意味でのこの業界の発展のために、何をなすべきか、ということを真剣に考え、行動することが必要である、と考えています。

多くの実績と思い出を残していってくれた彼に報いるためにも、そうしよう、と思います。
これを読んでくれた皆さん、九州の片隅にこういう男がいたことをぜひ記憶にとどめておいてください。
そして関係者の皆さん、彼の会社をぜひ盛り立ててやってください。
傷心のお父様とご家族、そして社員さん達もこれから頑張って乗り切っていかれると思います。
私が言うのもなんですが、よろしくお願いします。

現在長崎駅前の喫茶店でこれを書いています。
今日はこれから彼の告別式に向かいます。


1998九州デンタルショー会場にて
1999年3月20日11:40
アワズデンタル
粟津貴昭
長崎にて
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