2006年ボラカイ旅行記

2006年4月〜5月の大型連休に、家族3人でフィリピンのボラカイ島というリゾートに旅行してきました。出張の多い仕事をしているので自然にマイレージが溜まってしまい、気がついたら3人でアジア旅行できるじゃないかってことになりました。JALなんですが、昨年秋に申請したら、なんとゴールデンウィーク期間中でも使えると言うことがわかり、こんなチャンスはないってんで、どこへ行くかさっそく家族会議。中韓国から台湾シンガポール、インドまで足を伸ばせたのですが、子連れということもありさすがにカルカッタには躊躇。なんとなく消去法でフィリピンとなりました。
政情不安説なども流れ、少し心配したのですが、終わってみれば大満足。まったく不安などを感じたことはありませんでしたし、陽気な国民性、比較的安い物価(といっても観光客価格ですが)、そしてなによりも美味しい食事、と良いことづくめのフィリピンでした。
いつもの調子で出かける直前まで殆ど準備をせず、移動しながら次の予定を決めて・・といういい加減な旅でしたが、とても満足の5年ぶりの家族旅行となりました。ここではちょっとした旅行記をご紹介します。現地で大変お世話になったBJSさんはじめ、皆さん有り難うございました!

diary
4 28 名古屋へ・・・既に始まっている旅
 さて。ほとんどまったくといって良いほど準備をせぬまま5年ぶりの家族での海外旅行の日になってしまった。午前中から午後までは通常通りのお仕事をこなす。これといった緊張感もない。天気も良い。世間は明日から始まるゴールデンウィークに少しだけ浮かれ気味だが僕らはそんな余裕はないのだ。遊ぶのは着いてからであって、まずは無事にたどり着けるかどうか、これからなのである。
セントレア空港に到着しました。  仕事から自宅に戻りようやく具体的な準備を始める。いまさらながらバッグにいろいろ詰め込む。しかし実際に始めると僕は早々にやることがなくなってしまいお気軽にメール書いたりしている。18時過ぎ、タクシーを呼んで熊本空港まで。タクシーだなんて考えてみたらこんな贅沢は初めてだ。妻にそう伝えると、「へえそうなんだ、私はいつもよ」なんて答える。そうだったのか・・・。空港内のレストランで急いで食事し、もちろん生ジョッキを空けて19:15発のフライトで中部国際空港へ。機内では息子が夜景を見て喜んでいる。空港からは名鉄で5分、常滑駅へ、そこからタクシーで今宵の宿、常滑観光ホテルへ移動する。ここは何だか不思議なところだぞ、と来た瞬間感知する我ら旅人。結構広い部屋に通され、寝る準備をしていたら天井に大きなスズメバチがいるではないか。妻が叩き殺そうとするので、ちょっとまてこういうのはフロントへ連絡しなきゃいけないんだよと大のハチ嫌いの僕が進言、フロントマンが颯爽とやってきた。お任せください、とりあえず皆さんは貴重品だけ持って隣の部屋で一休みください、と。待つこと30分、格闘の末フロントマンが戻ってきて一言「だめです、どうしても探せません。さっきまで確かにいたんですが・・申しわけないですが部屋を移ってもらえませんか」と。移ってみるとさっきより広い部屋。もちろん喜んで移る。
  しかしいきなりのハプニングである。僕らにとって旅とはハプニング、というイメージがある。それは二人の最初の海外旅行がカルカッタインデリーアウト21日間だったせいだが。いやーこれからいろいろありそうだねえ、ところで明日の夜はどこだっけ?と妻に尋ねると、暗い顔をしている。どうした、と再び尋ねると、実はマニラまでは予約が取れているんだが、そこから先は全然取れなかったのよ、まあね、マニラでゆっくりしてもよいし、などと誤魔化している。お前それじゃまず入国できないかも知れんぞ、1泊目の宿くらい押さえとかないと、と本来すべて旅のスケジューリングは妻任せの予定だったがここで僕が乗り出すことに。パソコン広げ、ネットにつなぎ、いろいろ調べる。なんと最後はいつも使っている楽天トラベルでマニラの宿を1泊予約。3人で12000円ちょっとと僕らにしては高めだけど、まあ最初だから、と。後はマニラから目的地ボラカイまでの移動手段だが何とかなるだろう。まずはマニラとボラカイの旅行代理店に事情を書いたメールを出しておこうということに。あとはマニラについたらもう一度電話してみて何とかなるかなあ・・まあどうしようもなかったら家族3人でマニラ5泊の旅ってことだけど。っていきなりハプニングがらみで旅はスタートしてます、すでに。
29 名古屋からマニラへ
こちらが不思議な宿、常滑観光ホテルです。  6時半の目覚ましで起床。顔を洗っていると妻のきゃあ!という声が部屋に響く。なんと妻のショルダーバッグの中から昨夜のスズメバチが現れた。なるほど、貴重品を持って別室に移ったときについてきたわけね、こいつは、と眺めていたら彼も目が覚めたらしく、タイミングを計って窓を開けたら、大空に旅立っていった。殺されなくて良かったね。
 フロントで清算が終わりタクシーを待っていると昨夜のフロントマン、おもむろに自己紹介を始める。実は昔からのホテルマンではないのです、僕はもともと船乗りでコックだったのです、そして今ではこんな店もやってます、と名刺を。これからどこへ行くんですか、というのでフィリピンへ、と答えると、ああ、上陸はしなかったけど米軍基地のそばまで航海したことがありますよ、と。名刺を裏返すと英語表記、名前にMichelとミドルネームが書いてあるので「何でマイケルなんですか」と聞けば、ミッシェルと読むんです、実はフランスの血が混じってましてね、なんて答え。しかし不思議な宿だ。僕らはすっかりミッシェルの話題一緒になってタクシーと名鉄でセントレアへ移動。
 セントレア空港からいよいよ出発ですぜ。連休中ということで、さすがに人出は強烈だ。なんせこちとらJALマイレージの無銭旅行なので、小さくなって列に並ぶが、別に無料だからといって扱いが悪いわけでもなさそうで安心。遊園地並みの行列をクリア、無事にチケットをゲットした。これでマニラまでは行けるってことだ。出国手続きの後、スターバックスで簡単な朝食。休みとなれば世界中のダイビングスポットを回っている幼馴染に電話して現地の情報を聞こうと思ったが彼はなんと部屋で寝ていた。今回はどこにも行かないようだ。妻は僕のパソコンを広げてマニラの旅行代理店「ディスカバリーツアー」に何とかしてくれーとメールを書いている。その文章を見ていたら、これじゃあんまりだろうと慌てて加筆修正する。14番カウンターへ歩いていくと、なんとなくではあるが他の国に向かう方がたとちょっと客層が違う感じの部屋なのである。おお、これは面白いなあとマンウォッチング。こちらがJALの機内食。程なく機内へ導入され僕らは3人並んでシートに座り込む。僕は離陸したのががわからないレベルで熟睡開始。目が覚めたら昨日購入した「週末作家入門」という新書を読み始める。何を思ったかのか一昨日言葉で頭が一杯になったとき、そうだ本を書こう、なんて思いついてしまったのだ。今までもホームページを作ろう、会社を作ろう、ソフトを作ろう、ラジオをはじめよう、と思いついたことは知らないうちにだけどだいたい実現しちゃってるので今回も・・・と読み進めていると、本を書くことよりもこの本を書いている作者のことが気に入ってしまった。その後、ランチ。JALなので当然和食である。妻は豪快にビールをオーダーしているのだが僕は大人しくアップルジュース、しかし我慢できなくなりその後白ワイン追加。次に「ホンモノの文章力」という新書を読み始める。これも昨日思いついて一緒に買った本。いよいよやることがなくなりPC立ち上げて旅行記を書き始める。出発したのが09:50、到着が13:15だが時差が1時間あるので実質5時間あまりのフライトなのである。
ダイヤモンドホテルからの風景。21階です。  13時半、僕らはニノイアキノ空港に降り立つ。チケットオンリーなのでお迎えなどはない。まずは国内便へ移動しようと思うがどうもここからは距離があるようだ。まずは昨晩予約したダイヤモンドホテルへチェックインしようぜ、とタクシーの待合室で行き先を告げ、クーポンをもらう。520ペソでホテルまで走ってくれるということである。大渋滞を体験しながら20分ほど走行。思ったより近代的な都会だなあと話していたら、あらら、高層ビルの高級ホテルに横付けである。ひょっとして、ここ?と驚きつつ喜びつつチェックイン。ちゃんと予約は入っていて、21階の部屋に案内される。おおおこれは高級ではないですか。
素晴らしい部屋です。わしらも出世したもんだ。  しかも何とブロードバンド環境まである。24時間で15ドルと安くはないが、まだまだ殆ど旅の予約が確定していないのでこれは貴重である。さっそく繋ぐと名古屋で送ったメールの返事がさっそく届いていた。マニラのディスカバリーツアーという旅行代理店からは国内便の手配は時間が無くて無理だけど、空席のある便があるのであるのでまずは空港に行け、との助言を得た。仕事にならないのにありがたい話である。さっそくお礼の返事を書く。次にボラカイ日本語リゾート(BJS)という現地の代理店とメールでやりとり。えいや、といっそのこと部屋から電話してみると非常に丁寧に対応して貰えた。いやー何とか行けそうだなあ、と軽薄にも盛り上がる。
通りでは何とフェスティバルパレード!  さてと、だいたい目星はついたのでマニラを楽しもう、と3人で外に出る。さっきから何だか大きな音が聞こえてるなあ、と思っていたら何とロハス通りというメインストリートを歩行者天国にしてお祭り騒ぎのパレードが繰り広げられていた。聞けばアリワンフェスティバル、といいフィリピン各地の島からそれぞれの民族衣装に身を包んだ若者達が集結し、踊り歩くというものらしい。サンバや民族音楽のビートが大音量で鳴り響き、高校生くらいの若い男女が規則正しくでも自由に踊っている。おお、何て僕らは幸運なんだこんな日にマニラに来るなんて。息子はカメラを手に興奮しあちこち写しまくっている。
サンセットを見ながら何を思うか11歳日本男児。  ガイドブックで見つけたハーバービューレストランというところまで結局歩いて行く。ちょうど夕陽が落ちる時間で、地元のカップルや観光客たちで海岸は賑わっていた。レストランではエビとビーフの定食、フィリピン焼きそば(パンシット)と鳥唐揚げ、ビールを3人で食べる。思いのほか僕らの口に合う気がしてとても美味しかった。ここは桟橋の上のレストラン。港の涼しい風を楽しみながら1500ペソであった。まだ高いか安いかわかんないんだけど。もちろん現地の給与レベルからしたらとんでもない価格なんだろうな。
ハーバービューレストランでの食事。  帰りも歩いて帰る。マニラでは絶対に夜道を歩いてはいけない、とか本に書いてあったけど、祭りはまだ終わっていないし、メイン通りってことで人通りは絶えないし、まあ良いかって。どうも僕らの悪い癖で安全かどうかの判断をカルカッタ基準で考えてしまうところがあり。もちろん横丁なんかには近づかず、まっすぐホテルに帰りました。そのまま1時間ほど眠りこける。22時半、目が覚めたらまだ妻は起きていた。シャワーを浴びて今度は本格的に寝る。記念すべきフィリピンの第一夜は無事に過ぎていった。
30 マニラからボラカイ島へ
マニラ国内線の外にあるAsia Spiritのオフィスにて  妙な夢で目を覚ましたら6時。しばらくやることもないので本を読んだりパソコンで旅行記書いたりメール書いたり。8時前、息子がテニスをしたいと言いだし、妻がホテルのテニスコートに連れて行った。案の定1時間後鬼のシゴキに涙目の息子が戻ってきて朝食。豪華なビュッフェスタイルの朝食である。多くのワケアリ風日本人オヤジや、韓国人家族などでごった返している。旅のスケジューリングの方は、何とか明日の午後3時にボラカイ近くのカティクラン空港までの国内便の予約を確保。また、ボラカイ1泊目のホテルもついでに確保した。Fridays Boracay Resortという高級リゾートらしいのだが、たまたまキャンセルが出たらしく、そこに潜り込むことに。何だか2連泊で豪華ツアーって僕らに許されるのか?と思いつつも他に手段がないので仕方がない。しかしそんな高級ホテルに夕方入って1泊か・・・もったいない。できるだけ早い便で行けるよう、空港で粘ってみるか。幸い便数は結構ありそうだ。狙うはキャンセル待ちだ。朝食後部屋に戻って荷物をまとめて10時半にチェックアウト。
シーズンらしくごった返している。ただほとんどがセブ行きの人たち。 ホテルタクシーを呼んでもらい、なぜか来たときより近いのに700ペソと3割ほど高いクーポンを買って国内空港へ。ドライバーが「そうか、日本からか。ここが教会、そしてここが市場だ。」と即席観光ガイドしてくれる。なんだか地方のバスターミナルのような雰囲気の空港に到着。入ろうとしたらガードマンにチケットを見せろと言われるが、いやまだなんだ予約だけしてチケットはここで貰う予定だ、と伝えるとだったらこっちへドア3つ分歩いたオフィスへ行くことだ、と親切に案内される。なるほどAsianSpiritという小さなオフィスが確かにあった。このオフィスに入るにも厳重なセキュリティ。カウンターのお兄ちゃんに事情を説明してチケットを受け取る。つたない英語で、15時のフライトだけどできるだけ早く行きたいんだ、と伝える。「だったら空港で待つことだ」と言われ、チケットを受け取る。しかしセキュリティのガードマンは若い女性で、事務員が男性なのね。何となく日本と反対のイメージだが、日本以外ではそういった観念的な性差はないのかもしれない。実際強そうだし。 またさっきのチェックを経てようやく空港に入る。おそろいのジャケットを着たガードマンだか案内係だかのお兄ちゃんがたくさんいて、口々に「どうした?」「どこへ行くんだ?」と声を掛けてくる。最初のうちはつい警戒したがどうやらそれが仕事らしい。まずはチケットに書いているカウンターに並ぶ。もの凄い混雑でこりゃ大変だなあと思っていたがよくよく見れば殆どセブ行きの行列であった。カティクラン行きは数えるばかり。ここでつたない英語で、できるだけ早く行きたいんだ、と説明する。OK、1時間後にまたここに来い、てなことに。13時発の便のキャンセル待ちにトライすることにした。 さて、これから短くて1時間半、長ければ4時間ほどこの空港で過ごすわけだ。どうしたもんかいな・・と待合室を探検したり、本を読んだり。カナダ製ダッシュ7でカーティクラン空港に無事到着あまりにうろうろしていたせいかさっきのオフィサー達が「どうした、希望のチケットは取れたのか?」なんて聞いてくる。そのうち一人はどうしたことかとてもフレンドリーで「なあ、オレのことを忘れるなよ、俺たちは友達だからな」なんてすり寄ってくる。日本ではもてないオレだがここではそっち系なのか。うふっ。 12時過ぎにさっきのカウンターに行く。なんとすんなり13時の便に乗れることになった。つくづくラッキーな僕ら。スーツケースを預け、空港税を支払ってボディチェックを受ける。こちらも人でいっぱいの待合室。マッサージコーナーなんてのもある。ほどなくアナウンスが流れ僕らは次のドアへ。ここでも10分ほど待たされてバスが迎えに来た。このバスが走る走る。しかも速いのだ。もしかしてこのまま加速して上昇しちゃうんじゃないかとすら思えた。あたりはすっかり国際線のニノイアキノ空港になっている。そうか、繋がっていたか。ようやく小型機の前でバスが止まる。おお、プロペラ機だ。
 なぜにゲーハーおじさん?アシアンスピリットという共同運行の国内便である。カナダ製ダッシュ7ターボプロップは順調に上昇を続けている。妻は1番目の席でしかも後ろ向きの席、僕らは後部座席に並んで座ることになった。さほど不安感も感じさせず至って普通に飛んでいくプロペラ機。フライトは1時間あまり。窓の外はどんどんリゾートに変化していく。がつんとあっさりカティクラン空港に到着。しかしまあさすがに暑い。暑いというか熱い。荷物もきちんと届いており、空港の出口でBJSスタッフのお姉様に笑顔で迎えてもらう。初めて乗るトライシクルで港まで。このバンカーボートでボラカイへ移動するのだこれは2輪バイクの右側にリヤカー様のサイドカーを(意味不明だな)取り付けたものでこちらでは普通の乗り物らしい。排気ガスの中、結構なスピード感で町を抜けていく。到着したのはビーチ。桟橋はありませんから直接砂浜へ小さな港の待合室でしばらく待つとバンカーボートに乗り換えである。これは地位無さな木造漁船のような船の両側に竹で作ったバランサーが羽根のようにつけられているもので、まるで小型宇宙船のように格好良い。海面をするすると走り出し、約30分後にはボラカイ島の美しいビーチに到着だ。と言っても港や桟橋があるわけではなく、荷物を持ってくれるポーターのうしろについて船からハシゴを下りるといきなりの海、砂浜、といった具合だ。ここでもトライシクルが待っててくれて、僕らをBJSのオフィスまで運んでくれた。
今回助けてくれたBJSのオフィスにて  小さなお店が長屋のように軒を並べるDmallの中にいきなり日本語の看板が現れBJSのオフィスがあった。今回メールや電話でお世話になったオガワさんは体調を崩して寝込んでしまったらしい。でも代役のおっちゃんにいろいろ親切に教わり、とても頼もしい。しかも儲ける気があるんだか無いんだか、あまり商売熱心に思えないあたりが却って頼もしい。なんだかこの島の日本大使館みたいだ。 FridayResortにチェックイン。すばらしい施設 国内便や今日のホテルの支払いを済ませ、またトライシクルで今度は目的地のFridays Boracay リゾートへ。BJSの現地スタッフの若い女性が僕の荷物を持とうとするので、それは日本男児的にはいかんです、と僕が頭の上に抱えて砂浜をしばらく歩くと見えてきたのは超高級リゾートの姿である。クーラーの効いたフロントでチェックイン。流ちょうな日本語を話す女性スタッフに部屋に案内して貰う。部屋というよりコテージ1軒分である。超ビッグサイズのバスルーム!妻子大喜び、息子が飛び跳ねているベッドはなんと天蓋蚊帳付きキングサイズ。なんかわしらに似合わず大名旅行になって来ちゃったねえ、なんてクーラーの効いた部屋で話している僕ら。この部屋1泊2万円超でございます。日本だったら10万円くらいかな。現地の生活レベルからしたらそれ以上なんだろうけど。 このプレイベートビーチの木の前で写真を取るのが定番だそうです。 まずはビーチだ、と水着に着替えて砂浜へ。ホワイトサンドビーチの名の通り、本当に細かな砂が足裏に心地よい。こんなところでつい、歯科材料ならSSだなとかいらんことを考えてしまう僕。まだ16時だ。早い便に乗れて良かった。 ビーチからのすばらしい夕焼け。何を撮っても絵になるんです。 このあたりの日没は18時くらいらしい。一通り泳ぎ、ビーチでサンミゲルビールとフルーツカクテルを楽しんでいたら夕焼けが始まった。ビーチバレーを楽しんでいた一軍に日本代表で妻が参戦している。こてんぱんにやっつけてやる、とか言っていた割りにはまったくもって戦力外なヤツである。僕はもう酔っぱらってデジカメの日没撮影モードを弄って夕焼けの撮影に挑戦中。どんなショットを撮っても絵になってしまうのだなあ、これが。 ライトアップされていたのでやっぱり記念撮影
ひとしきり遊んだ後、部屋に戻り、バスルームを満喫する。なんとジャグジー付きだ。息子と大騒ぎ。20時前、またビーチに戻って定番のFridaysと形作られた木製モニュメントの前で記念撮影。ビーチサイドレストランでシーザーサラダ、カルボナーラなんか食べながらいつものように口論してみたり、砂浜を歩く犬と遊んでみたり、南十字星らしき星座を眺めてみたり。ボラカイは良いところだなあ。
5 1 雨のボラカイビーチリゾート
ビーチからの定番ショット。 もちろん自分が雨男として強力なことはわかっていた。だがしかし乾期のフィリピンで1日豪雨とはどういうことだ。今日はメーデー、5月1日、アイルトン命日。僕は2日前から家族とフィリピンに居る。朝のうちは南国ならでは良い天気。気持ちよくTAPAの朝食を取り、ビーチでゆっくり太陽を満喫し、豪華な部屋のジャグジーを泡で一杯にし息子とはしゃいだのであった。12時にチェックアウト、BJSのオフィスに立ち寄り、次のホテルの場所を聞き、妻子がトライするという体験ダイビングについて話を聞いている最中に豪雨が落ちてきた。初めは熱帯ならではの通り雨かとなめていたが結局翌日まで激しく降り続けたのであった。
 お昼はガイドブックで見つけたTRUE FOODというインド料理店。2階の窓際席、ターリーを頼んでクッションにもたれてゆっくり胡座。料理もゆっくり出てきて、妻子は時間がない、と途中で店を出て行った。軒下から激しく入り込んでくる雨。こんな日に体験ダイビングだなんて僕には到底できない。どういう幼児体験があったか知らないが、とにかく足の下に海底を感じることができなくなった瞬間、パニックを起こしてしまう体質なのだ。ましてボンベを背負って海に潜るだなんて。しかも豪雨。結局僕は一人でこのインド空間に居残り、フロアを独占したままでほんの世界に埋没。デビッドベニオフという人の「99999(ナインズ)」という短編集の文庫を読んでいる。今まで知らなかったけど有名な作家らしい。すばらしい。僕以外の初めての客がやって来た。韓国人女性が一人旅、流暢な英語でオーダーし、タバコをふかしながらライ麦畑を取り出して読み始めた。一方おれはビール3本で酩酊。今度は後ろの席にアメリカ人の男二人がアジア女性を引き連れて食事に。なんだか英語で自慢話をしている。さっきの客が同伴女性に笑顔のサインを送っている。韓国人同士なのかな。
BJSのオフィスを出たら雨、雨、雨。  1時間ほど時間を潰したがいっこうに雨のやむ気配は無い。しびれを切らして雨の中を歩き出す。雨宿りしながら一人でぼーっとする時間も楽しい。酔っているせいかもしれないけど。それにしてもいろんな人種が歩いているもんだ。思っていたより日本人は少ない。同じような顔を見かけるとだいたいコリアンである。通りにはハングルが溢れている。たまに日本語を見つけても「日式料理店」みたいな表現だったり。日本にとっての80年代のハワイが彼らにとってのボラカイかもしれないなと思う。きっとハネムーンなのだろう。
True Foodというインド料理店で雨をしのぐ。  これは当分降り止まないな、と今日から3泊するボラカイ ビーチ シャレーという宿に一足先にチェックインする。フロントの女性スタッフ2人にに、6番の部屋ね、と言われ、歩いていくと既にアメリカ人が部屋に入るところだった。もう一度戻って「本当に6番だよね」と聞き返すと、確かにそうだ、という。「でもアメリカ人が入ってるよ」と伝えると、ああ、しまったさっきのアメリカ人を間違って案内してもうたー、あんたのせいがな、ちゃうちゃんあんたやで、と2人で騒いでいる。現地語なので何を喋ってるがわからないが多分そんなところ。すんまへんな、ということでしばらくフロントで待つことに。3人連れということだけどベッドは一つしかない、エクストラベッドは有料だが必要か?と聞くので、「いや要らんですよ、昨日も3人で寝たし」と答える。ここで「3人川の字で」なんて英語で表現しても絶対に意味は通じないことであろう。しばらくして2人で爆笑しているので、どうしたの?と尋ねると、実はさっきのアメリカ人と友達だと思ってたのよ、それで同じベッドで寝るとか言ったら可笑しいじゃない、なんて勝手に笑うのだ。OK、それでも良いから別注で鉄の檻と鉄のパンツも用意してくれないか、とアメリカンジョークで煙に巻いてあげましたです。
熱い雨雲から熱帯の雨が降り注ぐ。  さて、部屋に入ると、よしっこれが僕らの旅だぜって感じの部屋&シャワールームである。ぬるいシャワーを浴び、エアコンを入れてベッドに入り、テレビをつけて本を読んでいたが眠れないのでバルコニーに出てデジカメの写真の整理など。17時半、ようやく妻子が戻ってくる。妻は「もうイヤだ、この子がどっか行ってしまわないか心配でゆっくりできず、最後に心配しすぎて吐いたよ」と。一方息子は大興奮。「海の底で魚をいっぱい見た!明日も明後日も潜る」と高揚している。しばらく二人の話を聞き、僕がこのホテルにチェックインしたときの鉄パンツ事件を話する番になると、「えっエクストラベッドは最初に頼んだのよ、お金も既にBJSに払ってるし」てなことであった。妻はフロントに交渉に行き、しばらくしてホテルオーナー自らエクストラベッドを抱えてやって来た。僕がパソコンで旅行記を書いているのを見て、「WiFiが使えるんだぜ、トライしてみたかい?」とのこと。さっそく電波を検索したら確かに暗号化されていないアクセスポイントが一つ。こいつはラッキーだぜ、とすかさずメールチェック。マニラ以来のメール約300通(98%スパム)がやって来た。何とVPNで会社に届いているFAXまで確認できてしまった。妻の携帯はFOMAなので何不自由なくローミングできてるし、なんだ人と会うことさえしなければこっちで仕事できるじゃん、なんて考えてしまう21世紀。
子供はダイビング初体験に大興奮。 カーサピラールで夕食。蛤。  20時過ぎ、ようやく雨が上がった。3人で外に出てみると大勢の人たちが通称ボラカイ銀座を闊歩している。4km近くあるというビーチにそって走る舗装されていない狭い道の両側にホテルやレストラン、土産物屋、露天商がひしめき合っている。また歩きながらアクティビティーを薦めたり、サングラスや腕時計を売る男達、マッサージしないかと声かけてくるおばちゃんと賑やかなことこの上ない。だが悪質な物売りや物乞いなどはまったく見かけないので安心ではある。夜のビーチでは7時間かけて作ったという砂の城の前で記念撮影する観光客が絶えない。製作者はシャッターを押してあげてチップをもらうという寸法だ。僕らはちょっと大きめのレストランで食事。蛤やエビなどを選んでグリルしてもらう形式で、お腹いっぱい楽しめた。帰りは生演奏を冷やかしたり、ツーリストセンターのコンビニで買い物したり。ホテルに帰ったらベッドの取り合いでこれまた定番になった妻との口論しつつ寝る。
2 ボラカイビーチ三昧
イングリッシュベーカリーでの朝食は豪華でした。食堂からの外の風景。夏だ。熱帯だ。 朝食はイングリッシュベーカリーというお店で美味しいパン。まだ8時台だというのにさんさんと日が降り注ぎ真昼のような天気だ。早朝まで雨が降っていたようだが今日からは文句なしの快晴だ。息子がお土産を買うというのでボラカイ銀座の露天商や昨年暮れに全焼してしまったというタリパパマーケットのブルーシート仕様の仮店舗などで貝殻のブレスレットなどをまとめ買い。といっても6個で100ペソ(日本円で約200円)とかそんなお値段。10時半、ビーチに出かける。ホテル真ん前のビーチには泊まり客専用のチェアーとパラソルが用意してある。ガードマンにセットしてもらい、まずは海に飛び込む。Fridaysのビーチはプライベートだったし、砂ももっと白かった気がしたけど藻がたくさん生息していた。こちらは人が多いせいか藻は見あたらない。僕らはすっかり海の子になって南国の潮風と海水を楽しむ。何となくだけど日本の海水よりしょっぱさが濃い気がする。そのせいか、僕みたいな金槌に近い人間でも浮いていられるのである。肺にたくさん空気を溜めて呼吸を浅くするだけで、手足を漕がなくてもぷかぷか浮いていられるようになった。こんなのは死海でしかできないと思っていたのに、これは凄いことを発見したぞ、と妻に言ったら、そんなの普通考えなくても誰でもできるし、と言われ。朝なのにこの日差し。肌がひりひり焼ける。
このあたりは昨年暮れに火事になってしまったタリパパマーケット  いったん部屋に戻り、お昼前に再度ビーチへ。今度は妻がシャチ型の1.5mはあろうかという浮き袋を買ってきた。子供は「しゃっちゃんだ!」とさっそく名前を付けて海の中でじゃれ始めた。この子は生まれたときからとにかく水があるだけで落ち着く河童のようなやつだ。取り立てて泳ぎが上手いわけでもないのだけど、とにかく水に浮かんでいるだけでこれ以上はないという幸せな顔をしている。僕はチェアーでまだデビッド・ベニオフを読み続けている。妻は相変わらず昼間っからビールを飲みつつ、ダヴィンチコードの文庫本を読み耽っている。もちろん2人とも息子の顔を確認しながら。しかしちょっとはしゃぎすぎだなあ。夜疲れないと良いけど。
ボラカイビーチシャレーもコテージ1軒占有。 息子のお土産仕入に付き合う。  お昼は海を出てしばらく歩き、D-MALLという新しい商店街にあるOleというスペイン料理店で。ガーリックライスと鶏料理。しかし僕はピナコラーダというラムとパインのカクテルを飲んでいたらすっかり楽しい気分になってしまい、思わずお代わりする。フィリピンはラムの名産地の一つらしい。太陽の下で家族とスペイン風のランチとラム。なんて陽気な組み合わせだろう。もうオレはここに住んじゃうよ。帰りはメインロードを通ってホテルへ。舗装されたこの道はトライシクルやリキシャー(っていうのかな)で溢れている。排気ガスの量もただごとではなく、事実、道沿いの木がたくさん枯れていた。ビーチの美しい自然とそれを楽しむ世界各地の観光客たち。その裏ではこうやって自然界の逆襲が始まっているのかなあなんて思う。すっかり浮かれた観光客の裏道ではそのために自然を犠牲にする生活が始まっているような気がした。経済発展とは排気ガスのことなのかもしれない。
妻がイルカを買ってきた。息子がしゃっちゃん、と名付け。 今日も素晴らしい夕焼け。説明する言葉はもうない  ホテルに戻ると息子がひいひい言っている。案の定日焼けしすぎで背中が痛いらしい。こればかりは僕の血だ。いくら焼いても真っ赤になって水ぶくれになって数日苦しんだらぺろりとまた元の白い肌に戻ってしまうタイプなのだ。まったく妻が羨ましい。僕は息子に付き合ってテレビを見たりネットをしたり。妻はまたビーチに出かけてマッサージを受けているらしい。僕も疲れていたので30分ほど仮眠し、18時、妻を呼び戻しにビーチに行ったら今日もまた素晴らしい夕焼けであった。またまた写真を撮ってしまう。夜はまたボラカイ銀座(しかし実際の銀座は今はこんなんじゃないよね)をレストラン探して南端まで歩く。 今日は炉端焼きスタイルで食べたいものを選んで焼いてもらう夕食。 三日月もそろそろ沈む春の海。 砂浜の上で焼き物を選んで食べるレストランに座る。たまにはワインでも飲もうか、とフルボトルを頼んだらなんと1000ペソという。まあいいか、とお願いしたら出てきたボトルにまだ値札が付いていた。剥がしとけよ〜、原価200ペソまるわかりじゃん(笑)。ポークや牡蠣、エビ、魚なんかを食べました。さあて夜は子供を寝かしつけてクラブでもハシゴすっかあ、と意気込んだものの22時には3人川の字でイビキをかいてしまうあたり年齢的限界かしら。すぐ近くの店からズンズンと威勢の良いベースのビートが響いてきて僕らを誘ってくれるのだが、いまやそれは子守歌にしか聞こえないのだ。
3 今年のボラカイ最後の夜
ホテルの中庭から見える朝の海。天国。 どこを切り取っても絵になるのが南国の海。  7時に目が覚めてしまい(当たり前か)、バルコニーでネットに接続、ボラカイの情報についていろいろ調べる。なんせ明日は早朝の移動なので実質今日1日しか遊べないのだ。ところが息子を起こしたら「もうだめだ一歩も動けない」とネを上げている。日焼けが度を超して動くたびに激痛らしい。まあ仕方ねえか、と彼一人部屋に残して僕らは外に出る。遊びに行ったわけではなく息子のために水分や食料の買い出しである。今日はヨットでフィッシングやアイランドホッピングなんかを考えていたのだがすべて諦めるしかない。まあもともとそんな活動的な遊びしない方だしいいか。妻は船酔い激しいタイプだそうだし(僕は飲み過ぎに違いないと今でも信じている)。
妻と2人で散歩。  今日もビーチでゆっくり。いろんな人種が通り過ぎていく。BJSに立ち寄り明日の帰りの段取りを確認する。確認して良かった。取っていたはずの便が取れておらず、他の便をこれから当たってみますとのこと。まあ帰れれば良いですので、と言い残しオフィスを出る。さて、2人で少し遅い朝食をと昨日のOleに行ってみるが、あいにく10時からお休みだという。近くの小さなファストフード風のテラスで簡単な朝食を食べ、歩いてホテルへ戻る。息子は起きていて、シーツ類がきちんと清掃されていた。おねえちゃんが来てくれて清掃してくれたそうだ。何か話した?と聞いたら「何だかわからんかったけど少し」だそうだ。ECC子供スクールに通わせて2年以上。今のところ成果なし(涙)。さすがにこれ以上息子を放りだして遊び回るわけにもいかず、今日は部屋でゆっくりしようかってことに。しかし良い天気だなあ。僕はテラスで旅行記を書き進める。
 イタリア料理でござい。粉から練った本格派。お昼過ぎ、そろそろ歩けるようになったかい、と外に出てみることに。今日だけは息子の姿勢がよろしい。なんか背筋がすっと伸びている。曲げると痛いのだそうだ(笑)。これまで各国の料理を食べてきたので、次はイタリアだね、とピザ屋さんに入ってみる。たいていそうだが、レストランは宿屋もやっているみたいで奥にはいかにもダイバーが泊まりそうな部屋が連なっている。次からはこういうところでも良いよね、とすっかりリピーターになるつもりの家族である。あ、夫婦である。息子は今それどころではない。しかしずいぶんと料理が出てこないなあ、と見ていればなんと粉を打っていた。おお、これはあと2時間くらい待つのか、と期待していたら意外にすんなり出てきた。あれは仕込みだったのか。しかし粉から打つピザ屋って普通に凄い。カリカリのピザとパスタを美味しく頂きました。僕らはまたもサンミゲルライト。
 夕方、日没まであと2時間というあたりで妻とビーチへ。僕は昨日会得した海水遊泳術でプカプカ遊ぶ。ここには監視員などいないのでよいのだが、日本でこんなコトやってたら土左衛門と思われて大変かもしれないな、などと空を見ながら考える。両耳が水中にあるので音の変化が面白い。子供の頃夢想した未来の平和な海をここに見つけた。ずいぶん遠くのボートのエンジン音が間近に聞こえるのだ。フィリピンの人たちは海を自由に操る術を知っている。竹で船を編み、島から島へ航海し、海の幸を交換し、調理し、食べる。音楽が、踊りが、笑顔が海と絡み合って一つの文明を作り上げている。僕ら日本人も昔はきっとそういう一族でもあったのだろう。だが今やすべてが切り離されて一つひとつが別の商品として切り売りされているのだ。もちろんそれを否定したところで何も産まない。だがそんな隔絶した世界を双方感じながら生きることはとても大事だと思った。山の生活、氷の生活、サバンナの生活。いろんな世界がこの地球上にあるのに、僕らは自分の回りの生活だけで物事を判断し、諍いを絶やさない。愉しむということは大事なのだなとつくづく思った今回の旅です。
 インターネットカフェも併設。1時間50ペソ。従業員御用達。またも夕暮れを満喫して部屋へ戻る。フロントにBJSからメッセージは来ているか、と尋ねたがなかなか真意が通じない。ほんと、英語力無いなあオレ。実際にBJSに電話したら、やはり明日の朝一の便しか取れなかったという。つまり朝6時にはチェックアウトせねばってことだ。息子がフロントのPCにインストールしてあるゲームをしたい、というので遊ばせておき、僕は一人であたりをうろうろしたり、バルコニーで読書したりパッキング作業したり。
 夕食はインド人シェフが営むバイキング形式。さあて今日こそは明日の朝まで激しく飲むぞ、まずは仮眠だ、とベッドに転がったのであるが、次に気がついたときは朝であった。情けねえ。
4 ボラカイからカティクラン、マニラ、名古屋
早朝のビーチ。早くも泳いでいる子供達。すがすがしい朝の	空気が支配している。  いよいよ今日でボラカイともお別れか、と思ったせいでもないのだけど4時半には目を覚ましてしまった。本来ならこの時間まで妻と飲み騒いでいた予定なのだが僕らはすっかり健康的になってしまったようだ。というより飲み騒ぐことがさほど楽しいものではないように感じてしまっているかもしれない。日光を、海を、料理を、家族と楽しんでおいて他に何を望む?って感じなのだ。いつものようにベランダに出てデジカメの写真をまとめ、旅行記を書く。こうやって書いているといろんな出来事を思い出すのだ。なんだかこっちに来て結構な時間をパソコンに向かっているような気もするが、これはこれで将来いつか読み返すことができるのだろう。
帰りもバンカーボートで空港のある島まで。朝の潮風が心地よい。 6時前に3人でパッキングを完了し、チェックアウト。はやくもBJSのスタッフが迎えに来てくれてしばらく歩いてトライシクルへ乗り込む。今回はけっこう長距離を走って桟橋のある港まで走る。ちゃんと港があるんだーなんて暢気なことを考えながら。それにしてもポーターへのチップ払いからボートのチケット購入まで全部BJSのおねえさんがやってくれるのでとても楽ちんである。実際にボートにも同行してくれるし。英語しか通じないけど、もしこれが僕らだけだったら、おいおいちゃんとこの船は目的地に向かっているのか、とかいろいろ心配事でゆっくり景色を見ている余裕など無いかもしれない。しかも直接予約するより彼らを使った方が安いのだ。まあ僕らも40越して今さら何でも自分でやりますって旅でもないか、やっぱりうまくプロを使って愉しむのが良いのかもねえなんて話していたらあっという間に対岸に到着。またもBJS御用達トライシクルで空港まで5分の移動、ここでBJSさんともお別れだ。本当にお世話になりました。
カティクラン空港の待合室にて。  Asian Spirit機の到着を待合室で待ちながらいろんな国からの観光客を眺めている。僕らもすっかり日焼けしてビーサン姿で溶け込んでいる。しかし西洋から来ている連中の溶け込み方は半端ではない。おそらく1ヶ月以上遊んだのだろうなあ。そう考えたらすぐに戻るのが少し寂しくなった。でもこれ以上こんなメシの上手いところに居続けたら体格まで彼らと一緒になってしまそうだ。 帰りもこのプロペラが僕らをマニラまで運んでくれる。 機内ではふかふかのシートに座って1時間を過ごす。ニノイアキノ国際空港に無事到着したのだが、なかなか機外に出ることができない。どうやら送迎バスが来ないようだ。息子の顔色がどうも良くないなあと思ってたら、吐いてしまった。幸い妻が麦わら帽子を持っていたのでそこに。アテンダントにバッグを貰い、ようやく迎えに来たバスに乗ったとたん顔面蒼白の息子は寝てしまった。昨日から日焼けの疲れと11歳にして海外での体験ダイビングときたら疲れない方がおかしいくらいだ。国際空港から国内線までクーポンタクシー150ペソで移動。 ニノイアキノ空港の併設レストランにて。 しかし時間が早すぎてまだチェックインできないそうだ。息子はだいぶ顔色が戻ってきている。荷物を預けてマニラ市内で買い物と食事でもしようかと考えたが、インフォメーションのお兄さん曰く、ここには荷物を預けられない、仕方がないから隣のレストランでメシを食え、とのこと、素直に従う。厳重なセキュリティをかいくぐり、僕らはレストランというよりショッピングセンターの食事コーナーみたいなところに座る。ウエイターが来て、遅めの朝食とビールをオーダーする。すっかり元気になった息子は「何か脂っこいものが食べたい」とか言い始めるし、やっぱり妻の血が濃そうだ。そして持ってきた本「名犬ラッシー」を一生懸命読み始めた。マンガとゲーム解説本しか読まなかった息子が活字の魅力を認識してくれただけでも僕らの旅行には成果があったのだぞと両親喜びつつ、それぞれ本を取り出して読み出す。何せ時間はたっぷりなのだ。90分ほどそうして時間を潰した後、12時、ようやくJALチェックイン成功。免税店を冷やかし、14時ようやく名古屋行きの便が飛び立った。
 機内ではようやく息子が元気100%になり、アテンダントから貰ったおもちゃに夢中になっている。妻はさっそくシートに埋め込まれているディスプレイで麻雀ゲームを始めた。僕もオンデマンドの映画の中から「輪廻」という最近の日本映画を見始める。群馬の山中ホテルで11人の被害を出した殺人事件がテーマになっているホラー映画だが、少し目をそらすと機内の大型ディスプレイでNHKニュースが放映されていて、こちらは平塚で母親がアパートで家族5人を殺害したという事件だ。二つのディスプレイを同時に見比べていると、ホラー映画の役割ってもう無いんじゃないかなんて感じた。そして実は日本は恐ろしい国なんじゃないかって気がしてきた。まあ映画自体いまいちだったのもあるんだが。
 その後パソコン取り出し旅行記をまとめたり。ディスプレイの地図によると今、沖縄上空らしい。こないだ行ったばかりなのに。このあたりで降ろしてくれないかしらなんて。いよいよやることもなくなり妻が読み終わっていた「ダ・ヴィンチ・コード」上巻を読み始める。時計を1時間進めて19時過ぎ、ようやくセントレア空港に到着した。機外に出るとさすがに寒い。僕ら、Tシャツ半ズボンビーサン麦わら帽姿なのだ。入国審査、税関をすんなり通り抜け、近鉄に乗ろうとしたとき、妻が「いかん、現金がない」。そうか、フィリピンではクレジットカード医を使うたびに8〜10%の手数料を取られるのでありったけの現金をペソに替えて使っていたのだった。構内のATMで現金を引き出そうとしたが地方銀行との取引には時間制限があるらしく、使えない。なんでコンピュータ間取引に時間制限が必要なのかまったく理解できない。仕方なくクレジットカードで2万円借金。考えたらこちらの方が手数料が安いかもしれないし。そのお金でコンビニ夕食を買み、名鉄で常滑駅下車、タクシーで6日前に泊まった常滑観光ホテルに到着。残念ながらMichelleの姿は無かった。シャワーを浴びて6日ぶりに伸びきったヒゲを剃る。テレビを眺め、旅行記を妻にチェックして貰いながらコンビニおにぎりとフィリピンでかったカップ麺で夕食を盛大に・・・といいつつ瞬時に寝てしまった。明日も早いのだ。
5 名古屋から熊本へ
セントレア空港にて久々の和食。 長近代的な空港はあまり日本に帰ってきたことを感じさせてくれない。  6時の目覚ましで飛び起きる。30分後にはタクシーが迎えに来るのだ。急いで支度していたらフロントから「タクシーが参っております」との電話。間違いなくMichelleだ!と妻が驚喜する。僕らの常滑アイドルは丁寧にタクシーが走り出した後まで見送ってくれた。名鉄でセントレア空港に到着するとマイレージ無料チケットでチェックイン。しばらく時間があるので「若鯱屋」というわかりやすい名前のうどん屋で朝食。久しぶりの日本食である。でもボラカイは何でも美味しかったのであまり感慨はない。以前は海外旅行の壁は「言語・時差・食事・費用・トイレ」だったように思うが、日本が西洋化したせいもあって殆ど気にならなくなっている。いつのまにか英語が世界共通語になっちゃった世の中だし、もともと昼夜逆転生活だし(笑)。 待合室でもやることがない。もう遊び尽くしたぞ。朝8時のJALで熊本に向け出発。熊本に降り立つと、その瞬間日差しが名古屋からマニラに近づいた気がした。明らかに南に戻ってきたって感じがする。タクシーで自宅に戻ると愛犬が狂喜乱舞していた。
 今日は家に戻っても特にやることもない。義母に留守番のお礼を言って、メールチェックをして、溜まっていた新聞を斜め読みして。1時間ばかり仮眠した後は庭のベンチに腰掛けて、音楽を聴きながら文庫本を読んでいる。すこぶる天気がよいので洗車してどこかドライブでもしようかとも考えたが、こういう時には無理をせずゆっくりしていた方が良いって経験論的に考える。夜は皆でデジカメの写真をスライドショーにして楽しみ、夕食。23時くらいまででダビンチコード上中下巻を読み上げる。なんじゃらほい、って感じ。まあ休日の気分転換にはよろしいかもです。
最後はやっぱり夕陽で。  今回の旅について。もともとマイレージの無料チケットだったこともあるし、計画自体をすべて妻に任せていたこともあって僕はほとんど何も事前知識を持たずにフィリピン、ボラカイ島に入った。そのせいで観光旅行というよりも、いつも過ごしている環境がちょっと変わったことで、いろいろ考えることができたと思う。 ボラカイで見かけたなんてことない葉っぱ。ここで全部書いていたらきりがないけど、たとえばナショナリズムについて。たとえばグローバリズムと競争社会について。企業の目的は株価なのか、雇用なのかなんてことについて。社会の成熟について。言語コミュニケーションの重要性とさほどそれが重要でないことについて。テレビを消して本を読むことの快感について。インターネットが果たした功績とそれで失ったものについて。仕事とレクリエーションについて。うーん書き出していたらきりがない。何かの機会においおい書いていくことにします。今回はわずか1週間の体験でしたが、本当に実り多き旅でした。特に妻と息子に、感謝します。 長文お読みいただきありがとうございました。ご感想などはこちらまで何なりと。
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