2017年11月27日月曜日、湯川トーベンとビデオドローム
朝から深い霧の世界が広がってました。まるで映画「ミスト」みたいな真っ白な住宅街を散歩しているといつもと違う街に来たようでちょっとした旅気分に。取引先に立ち寄った後スポーツジムに行き一汗かいて自宅に戻ると先日阿蘇で出会った湯川トーベン氏に注文した彼のCDが届いてました。さっそく聴いてみるとこれがまた良い。良いのです。鍛え上げられたボーカリストが歌い上げるでもなく、超絶技巧ギタリストが技を披露するでもなく、職業作曲家が手練れのコード進行を聴かせるでもなく、なんというか15歳の少年がむき出しの才能を60歳まで温存しつつ、しかしそこは長年の音楽業界で鍛えられた一見奥ゆかしそうで実は複雑なセンスで包んだような、そんな音楽はまさに僕がちょっと目指していたりする場所だったのでした。しばらくこのアルバムをバックに仕事してみよう。夜はHuluで探した「ビデオドローム」の異様な世界に丸呑みされ。大学時代バンドのドラムスが寝ても覚めてもビデオドロームだよ今は、なんて言ってたなあなんて当日の彼の寒々とした下宿を思い出しながら。
2017年11月28日火曜日、例会後の食事会は久しぶり、つい二次会まで
午前中は来年2月の還暦パーティ発起人会議案をまとめたりのデスクワーク。夜は月に一度の熊本SJCD例会へ。終了後は瓢六に移動して10名で食事会となりました。帰り際、若手の先生と意気投合して二人で二次会へ。いつものTwo-Fiveへ寄るとすっかり元気になったマスターが迎えてくれ、カウンターではいつものように見知らぬお客さんたちと盛り上がるのでありました。ふとそこで気がついたけど現金全然もってない・・・クレジットカード使えて良かったけどこれからはちゃんと財布の中身を調べてから飲みにでかけなければ。今日はいちにち暖かく、夕日の美しい火曜日でした。
2017年11月29日水曜日、理想的な民主主義とは
全国ニュースで熊本市の議員が子供を議場に連れてきたと大騒ぎ。ネット見てても応援派から賛成派がそれぞれの主張を「これが当たり前」といわんばかりの論調で戦わせているけど、前提としてそもそも熊本市市議会は男性議員が圧倒的多数である(49名中女性議員6名)という現実に大きな問題があるように思えてならないのです。それを原因とみるか結果とみるかで議論の道筋が全然変わってくる。ところが日が経つにつれ「言いたいことは分かるがやり方が良くない」という方向性に収束してきてるのが残念です。それはデリバティブで情緒的な話としていったん置いといて、少なくとも男女人口比に近い議員数の実現のために何をどうすれば良いかを熊本市民が話し合うことが第一ではないかと思うのです。ネットで見つけた話題に寄り添うふりしてここぞとばかり「俺の常識」を闘わせる人たちを眺めてるとげんなりするだけです。それともう一つ、地方議員なんてのはPTAの延長みたいなもんで、そもそも職業であるべきじゃないと考えてます。面倒見の良いオジサンオバサンたちが担がれて地域政策を戦わす議会に数年間送り込まれるというのが民主主義のベースとして望ましいと思うのです。もちろん中には市会議員からはじめて県議、国会、はては首相を目指すって政治家がいてもいいわけだけど、基本はそのへんのおっちゃんおばはんたちがいつもの格好して議会に出かけて行くのが理想的な地方議会だと思ってます。だから小汚い格好してようが子連れだろうがそんなのは問題にならない。今回「議員は市民のお手本として」みたいな声が地元紙に多数掲載されてましたが、君らはいまだに民主主義と貴族政治や武家政治と混同してるのかいったいいつの時代の住民なんだと、まあこんなところで愚痴書いても仕方ないんだけど。
お昼は即席焼チキン。夜はスタジオアスターでTHE HEATのリハーサルでした。
2017年11月30日木曜日、トラック野郎に悶絶
昼ご飯食べながらなんとなく国会中継見てたら、北朝鮮ミサイルの射程が北米まで伸びたから国内の建物をコンクリート化せねばならないという与党議員が発言してて、これまたICBM級な発想の飛躍だなあと感心するのでした。たぶん順序から言えば「アメリカが北朝鮮の直接攻撃対象に→アメリカ、北朝鮮に先制攻撃→北朝鮮が日本の米軍基地に反撃→国内の都市も爆撃対象に→建物の強靱化を急がねば」ってことなんでしょうけど、既存の建物を爆撃に耐えられるレベルに強靱化するのにあと10年は掛かるはずで、当面そんな悠長なこと言ってる場合なのかしら、だとすればさほどの危機でもないような、と考えてしまうのです。てかアメリカに先制攻撃は国際法違反だから止めてねってお願いする方が先じゃないかと思うし、そもそも北朝鮮の貧弱なミサイルよりロシア、中国、アメリカのミサイルの方がよっぽど現実的な脅威なんじゃないかとも。
夜はHuluでトラック野郎シリーズを鑑賞することに。男一匹桃次郎。70年代の日本、なんて素敵なんだ。
2017年12月1日金曜日、京都祇園で忘年会
さて12月。そして今日から京都出張です。早朝のフライトで伊丹空港へ。天気に恵まれ眼下には大阪平野の古墳につづいて梅田の高層ビル群が建ち並び、これって両方ともその時代の支配層がこしらえた墓石みたいなもんだよなあ、なんて。モノレールと地下鉄で大阪市内中心部へと進み、某社にて社長さんたちと30分ほどお話し、新規契約成立。やっぱりネットサービスも現地に足を運んで話しないと契約は増えないのだなあと最近つくづく感じます。でも営業担当者なんて雇えないので何から何まで自分でやるのです。自分でやるから見えてくることもあるし、その限界もあるけど、まあこれが僕のスタイルかなあと最近思います。バンド辞めて宅録に走る青年みたいなもんです(わかる人だけわかってくれれば)
京阪で京都に移動し、三条京阪の大戸屋で牡蠣フライのランチ。少し時間があったので祇園のタリーズコーヒーでスマホ充電がてらパソコン仕事、15時から祇園の知恩院和順会館で日本歯科企業協議会例会へ。例会後の講演会では3年連続で手嶋龍一氏、昨年は折しも来日中のプーチン大統領に絡めた北方領土問題だったけど今回は北朝鮮情勢など。去年も書いたけど「インテリジェンス噺」だと捉えると楽しいのです。何ごともそのまま真に受けるようではインテリジェンスもまだまだってわけです。
18時過ぎからは料亭左阿彌にて忘年会。これぞ京都ってスタイルで斜陽と自嘲しながらもまだまだ元気一杯な業界の宴席が進むのでした。大勢の会員の席を回って挨拶したり話し込んだりと忙しく過ごしました。いつもなら二次会に行かずまっすぐ帰るのですが今回はいつもとはちょっと違うメンバーに誘われ、隠れ家的なバーに行きました。僕よりも若手が多かったせいかここ数年にみられない真剣な仕事談義が深夜まで続き、年末のほどよい刺激となりました。
2017年12月2日土曜日、京都建仁寺で紅葉、五条楽園で昼酒、阿蘇高森町でライブ忘年会
ホテルパックで取ったホテルは新京極に近い繁華街ど真ん中。目を覚ましてホテルの朝食会場に行くと新鮮な野菜ばかりでこれは美味いなあと朝からくつろいでしまうのでした。さて今日は伊丹空港まで特に予定がないのでどうしよう、とチェックアウトした後真っ青な冬空を見上げながら歩いていると祇園建仁寺の看板が。まだ紅葉にぎりぎり間に合うかもしれない、と歩いて行くとこれが大正解、目の覚めるような紅葉を楽しむことができました。かれこれ15年以上ここには来てないと思うけど、わりと好きなお寺です建仁寺。大勢の観光客に紛れてシャッターを押しながら心地よい寒さと景色とわずかな二日酔いをミックスさせてすっかり旅行気分に。
今から35年前から7年半くらい京都に住んでましたけど、当時はほとんど京都の名所なんて行かなかった(拝観停止問題とかで荒れてたのもあるけど)。当時と街も建物も道路もあんまり変わってないけどそれを見る人間が歳を取ると全く違った風景として見えるんだなあ、年取るのも悪くないなあ、などと独りごちうろうろ歩くのです。天井を見上げれば双龍図、そしてなぜか脳内に鳴り響くのはまんが日本むかし話のテーマ曲。
境内では結婚式の写真撮影とみられるカップルや書展に勧誘する大学生や中国人やアメリカ人や出張族や出所不明なわけのわからない人たちがそれぞれの時間を過ごしていて、国力が落ちて通貨安になるのもまんざら悪いことばかりでもないなあ、なんて。その足で清水寺方面まで歩いていき、大勢の観光客に紛れて三年坂あたりを散策しました。すると電話がなって「いまどこにいてんねん」と大阪の友人。五条あたりでお茶してるってんでそれはすぐ近所ですなと僕も合流することに。エフィッシュというオシャレなカフェにオッサン三人が集まりましたが、俺たち似合ってないよねってことで五条楽園のモミポンに移動し昼酒することに。何やら出てくる食べ物にとりあえずポン酢を垂らし、明るいうちから飲む酒はなかなか師走の京都的でああ、おっさんも悪くねえなあと。そろそろフライトの時間があるんで失礼するわね、と幾らか払ってタクシーで京都駅、ギリギリセーフでリムジンバスに乗って目を覚ますと伊丹空港。
1時間ほどのフライトで熊本空港に着くと妻とその友人が迎えに来てくれててそのまま阿蘇高森に連行されました。今日は年に一度の持ち寄りパーティってことで音楽好きらがそれぞれの楽器を持って山中のレストランに集合するのです。そういえば去年も京都から山中直行したけどけっこうな積雪で地震の迂回路を目をこらしながら運転したんだっけ。顔なじみたちがぞろぞろ集まって何度か乾杯し、演奏が始まり、僕らのバンドも3曲ほど演奏して深夜までえらいな盛り上がりとなりました。もう帰れないので阿蘇の山荘に泊まることにしたのですがそこでも宴会が始まってしまい結局寝たのは朝3時半でした。昼から飲んでたのでさすがにふらふら。でも楽しかった。
2017年12月3日日曜日、あか牛ステーキ、ホームパーティ
目を覚ますと8時過ぎ。まあ5時間くらい寝たことになるのでわりと元気だなーと山荘から数キロ先にある昨夜のレストランまでクルマを取りに行くことに。下りだったので20分ほどで到着しました。でも出張からそのまま来てるので真っ黒なコートにスーツ姿の僕は阿蘇山中で完全に異物感バリバリなのか、出会う地元民たちから一斉に無視されてました。まあたまにいるんでしょうねこういう変な男が。山荘に戻るとみなさん目を覚ましてたようでではそろそろあか牛食べにいこうか、とまたクルマに乗ってレストランへ。ここは阿蘇でも有名なあか牛レストランで、特にバイカーたちが午前中から長い行列を作り、お昼前には売り切れになってしまうのです。ついさっきまで轟音で暴れてた会場を横目に大人しく列に並び、あか牛ステーキをたらふく食べるのでした。
いよいよ解散だ、また会いましょうとみんなと別れて自宅まで戻ってくると同乗していた妻のバンドのギター娘が「なんかまだ遊び足りない」とか言いだしてうちでもセッション大会に。見れば妻はもう飲んでいる。彼女も慣れない酒を飲み始める。しまいにはさっきまで一緒だったはずのご近所ドラマーも一家で参入し明るいうちから二次会となってしまいました。僕は健気にも酒を飲まず(いやもう飲めなかった)最後まで付き合い、解散後はギター娘を自宅まで送り届けようやく布団に入ることができたのでした。ところが寝る前にスマホを見てたら大学時代に同じ学部で同じクラブに所属していた友人が急逝したことを旦那さんのブログで知り、えっどういうこと?と目が覚めてしまいました。ご主人とも同じゼミの友人を通じて知り合いだったのですが、どうやらエコノミークラス症候群で突然亡くなったようです。そんなに親しくしてたわけでもないけど、気の良いやつだったなあ、死は突然やってくるってほんとだなあと窓を見上げるといつもより大きな月がこちらを向いているのでした。
Takaaki Awazu
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