2016年8月15日月曜日、妻とその友人と南小国へ
妻の古くからの友人が関東から訪ねてくるというので羽田空港までお迎えに。結婚式にも来てもらったし僕もよく知っている彼女が被災地の状況を知りたいというので帰り道に益城町に寄ってみました。3ヶ月ぶりくらいに総合体育館に車を止め多くのクルマで混雑する県道を西進、最後は仮設商店街でお茶したのですが被災直後からあまり景色は変わっていないように思えました。自宅につき、荷物をおいたあとは妻と僕のクルマの2台で今季二度目のオートキャンプへ。先週と同じく南小国町の蔵迫温泉です。ミルクロードの景色を楽しみながら2時間ほどで到着、さっそくテント設営、入浴したあとは彼女らを黒川温泉まで送りまして15時からの黒川かっぽ酒に今度こそ、というわけで僕は昨年に引き続いてお抱え運転手です。
3軒の立派な温泉旅館で日本酒やどぶろくや焼酎をうまそうに飲み干す女優さんを一眼レフでひたすら撮影する専属カメラマンでもありました。酔っ払いどもを載せてキャンプサイトに帰ると柴男社長が退屈そうに居眠りしておりましてそこから一気に宴会モードへ突入。ところが日が暮れたあたりから突然雲行きが怪しくなり豪快な雷雨に。雨風はともかく山地での雷はちょっと危険過ぎるという判断で3人+犬で車内に避難してしばらく外の様子を伺ってましたが1時間もしないうちに雷は遠ざかったようで宴会再開へ。
しかし山の天気はなかなかに厳しく、今度は強烈な風と横殴りの雨の洗礼が始まりまして、あれよあれよといううちにタープのペグが抜けてしまって見事全壊状態に。今夜はここまで、と誰もが思うわけですが酔っぱらい女子たちは「テントで飲む」とヘッドランプ装着で3人用テントに移動し、男一人の僕はアラビアンナイトの悪夢のような(以下略
日付が変わるとさすがに眠くなって僕は柴男社長の待つ車内へと避難、馴れない車中泊で朝まで過ごす事になりました。しかし疲れていたのか速攻で熟睡へ。
2016年8月16日火曜日、先に熊本に戻り仕事と練習
なぜか午前3時台に目を覚ましてしまい、もう眠れない状態に。やっぱり車内泊って大変なんだーと実感しました。耳元では柴男がハァハァするし。諦めて午前4時に露天風呂へ。ここは朝まで入り放題なのです。すっかり温まりなぜか元気も出てきて車内で音楽聞いたりKindleで本読んだり。明るくなったのでタープを再建しようと遠慮がちにペグをトントンしてたらテント内から「うるさい何時だと思ってるんだ」と妻の声。いやもう7時ですよ・・・
昨日の嵐はなんだったんだ、という快晴の空の下、僕らの定番中華粥の朝食のあとは柴男散歩、読書、お昼ごはん、入浴と健康的に過ごし、僕は一足先に自分の車で帰ることに。彼女らは女だけでもう一泊、日頃のうさを晴らすのだそうで朝からガンガン飲んでおられました。途中多少渋滞しましたが2時間ちょっとで自宅に戻ると、シャワーで汗を流し暗くなるまで猛然とお仕事へ。第3火曜日は例会資料を発送する日なのです。いつもは妻に頼んでいる印刷、封入れ、そして郵便局に行ってポストイン。なかなか大変でした。
夜は21時から武蔵丘の練習スタジオで月末ツアーのバンド練習へ。もう一人のギターが今日も来れなくなってサポート役の僕がひたすら弾くわけですがそこまで完璧にコピーしてたわけでもないのでたいへん焦りました。もうちょっと練習しとかないと当日脚引っ張りそうでやばい。
2016年8月17日水曜日、夜は天神・中洲でお仕事
7時に目を覚まし8時から今日もお仕事。妻も柴男もいないとなると必然的に仕事しかやることもなくてわりと捗りました。ODMLのアップデートなども集中してガツガツ。お昼は近くのスーパーで買ってきたお弁当たべながらさらに作業を続け、昼過ぎ妻と友人が戻ってきたら仕事の引き継ぎして高速バス停まで送ってもらい、そこからひのくに号で福岡天神まで100分。車内ではChromebookでこの後の会議に向けての資料訂正など。中洲のホテルに着いたあともなかなか繫らないホテルのWi-Fi使って仕事を続けました。
歯科医師会館まで歩いていき、20時過ぎより来月の勉強会についての説明を。その後メンバーで暑気払いとなりまして天神のおしゃれなお店で日付変わる直前までわいわい飲みました。この会にももう6回目となりましてメンバーはかなり変わりましたけどなんとなく溶け込んでしまっている気がします。それにしてもみなさんスマホを取り出してはポケモンGOで盛り上がる姿はなかなか面白かったです。平日ってことで二次会もなく僕も明日朝早いのでホテルまで送ってもらってお開きとなりました。
2016年8月18日木曜日、下関、徳山、広島と在来線で移動し夜は学生気分でサウナ泊
7時に朝食を食べてチェックアウト、博多駅から新幹線に乗って新下関へ。ついこないだ来たばかりと思ってたのですが検索したら2009年7月以来ということで実に7年ぶりなのでした。小学校に入学した子供が中2になろうかって年月ですが、まるで昨日の事みたいです。今回はここから来週火曜日までODMLを採用して頂いてる某社の各拠点に説明して回るという旅を続けます。先日東京で社長さんと飲んでて酔っ払った挙句にそんな話になってまして、週末に高知での用事もできたことだし、では行きましょうかという流れで。
8時半から下関のお店で30分ほど説明会。やっぱりこうして直接伝えないと新しい機能や改善点などは伝わらないものだなあと痛感しつつ次のお店へ。Google Mapで調べたら新幹線使わなくとも充分間に合いそうなので経費節減も兼ねて在来線で移動することにしました。2時間程度ですがロングシートに揺られながらローカル線の景色を眺めるのはとても好きなのです。居眠りしたり本読んだりしながら。たぶん新幹線に比べると電力もあんまり使わないのだろうし。というわけで周南市の徳山駅で下車し、酷暑の中何キロか歩き、これはイカン倒れると思ってカフェに入って涼みながらちょっと仕事して午後から説明会。ここでもいろいろ盛り上がってくれて楽しかったです。
さて次は広島だ、と駅まで歩く道すがらiPhoneで調べるとここでも新幹線ではなく在来線で行けそうです。ちうわけで再びロングシートに身をうずめきらきら光る瀬戸内海を眺めているうちに広島駅へ。なぜかまったくビジネスホテルが確保できなくて今日はカプセルサウナ泊です。。スマホ片手に歩いて行くと風俗街のどまんなかに位置するニュージャパンなのでした。とりあえずひとっ風呂浴びてカプセルに寝転がってたら友人からメッセージが。学生時代のバンド仲間が広島の大学で教えているというので久々に飲むことにしたのです。アイリッシュパブに入り昔話から地震話、家族の話などで大いに盛り上がり、二次会はカレーうどん。以前ならここから本気出して朝まで飲むところですが、さすがにお互い50を超えると明日のことや体力のことなんか考えてしまって解散、それでもしっかり酔っ払った僕はサウナにもいけずカプセルへ直行、目をつぶった瞬間に寝落ち。
2016年8月19日金曜日、37年ぶりの平和記念資料館、そして松山の夜
朝風呂あびたあとチェックアウトし、路線バスに乗って朝一番で説明会。ここは研修会のお手伝いで何度も訪れているのですが相変わらず隣のアパートは傾いてました。熊本なら赤札貼られてるよなあなんて。さてこのあとしばらく時間があるのでどうしようと考えたけど、そうだ平和記念資料館に行ってみようとまたバスに乗って引き返し、中学校の修学旅行以来実に37年ぶりに入館。リニューアル工事中とのことで展示物はさほど多くない印象でしたが、海外からのお客さんがたくさんいて、しかもみな真剣に見ているのが印象的でした。原爆を説明するビデオの前で座っていたら、近くにいる幼児が「ねえおじいちゃん、なんでこんなことしたの?友だち死んじゃったらだめなのに、なんでなんで」と何度も尋ねる声が聞こえてきて心に残りました。出口付近には先日訪れたオバマ大統領の折り鶴が。昨日宿がとれなかった原因の一つなのかもしれません。
またバスに乗って広島港へ。案外高い6850円のスーパジェットに乗って呉経由で松山観光港へ。そういえば7年前は松山から呉にわたって大和ミュージアムみたりしたんだっけと思い出しながら仕事してるうちに松山へ。まったくといって良いほどエアコンの効かないリムジンバスでホテルのそばまで移動し、アーケード街の蕎麦屋で腹ごしらえしたあとチェックイン。荷物を置いて路面電車で次の目的地へ。こちらでも20分ほど説明会を行ったあと担当者さんとホテルそばのおでん屋さんへ。7年間の積もる話(地震とかゴジラとか)に盛り上がり、想像以上に美味しいおでんと日本酒に気持ちよくなってぐっする寝ることができました。やっぱりホテルはよいです。
2016年8月20日土曜日、1ヶ月ぶりの高知、盛大に打ち上げ参加
ホテルの豪華な朝食をゆっくり楽しんだあとはチェックアウトぎりぎりまで部屋でお仕事。今回Chromebookだけを持ち歩いてますがほとんど問題なく仕事出来てます。さて本日は夕方のバスで高知に向かうまで特に予定もなく松山市内でぶらぶら過ごすだけです。ホテルに荷物を預け、久しぶりの松山城かこれまで行ったことのない博物館にでも、と思いましたが外に出た瞬間「いかん、こんな熱気の中で歩いたら倒れる」と直感、日陰の多いアーケード街に隠れました。するとあちこちに多くの人出、主にセーラー服や学生服の高校生とその親世代。何ごとだろうと眺めていたら「俳句甲子園」てのが始まりました。全国から選抜された高校生たちが紅白に別れて同じお題に向けて作られたオリジナルの俳句を読み上げ、その後ディベートするという形式。いくつか見てましたけど今時の高校生はしゃべりも上手いもんだなと関心しました。それと地方から来た学生たちも流暢な標準語を操るのにも。
少し休もうと街の本屋に入り、文庫本をあれこれ4冊ほど購入。レシートを見ると「明屋書店本店」とある。以前熊本にもいくつかお店があったあのハルヤさんの本店がここだったのかとちょっと得した気分に。そろそろお腹がすいたなとなんとなく入った定食屋さん、創業108年という出雲屋さんで松山寿司にうどんのセットに生ビールを注文。もちろん美味しかったのですがそれよりお店のおばちゃんがキュートで良かったです。方言バンザイ。満腹になるといよいよやることもなくなり、スタバに入ってさっき買った本を読み始め、読み終わると東雲ロープウェイ商店街をぶらぶら、それにしても暑い。おみやげ屋さんで五色素麺てのを買ってみる。
ようやくバスの時間が近づき、バス乗り場へ。高知まで2時間20分3,550円の旅です。車内ではもっぱらさっき買った文庫本に熱中しました。1ヶ月ぶりの高知駅、今日のホテルは歩いてすぐのパシフィックホテル。荷物をおいて一休みしたらいよいよこの旅のもう一つのメインイベント、SJCD合同例会打ち上げへ。ホテルからあるいて2分の「呑んだ久礼」に集まった20名でいやー成功してよかったねえと乾杯、カウンターには次々に土佐料理が運ばれ、なかでも「足が速いのですぐ食べるように」といわれた新子が珍しくて美味でした。二次会は合同例会懇親会のメインアクトだった「どろめ祭り大杯飲み干し大会」で華麗な実演ぶりを披露した女性がママやってるお店「9」へ。ここでも反省会と称した飲み会が続きますがなぜか外は大雨。何時間も居座ってお店を出る頃にはもう止んでました。でも僕らの勢いはまだまだ止まらず深夜営業のお寿司屋さん「おらんく亭」へ。ここでも新鮮なお寿司をたらふく食べ、すっかり土佐の夜に参った千鳥足でホテルに戻るともう午前2時を回っておりました。
2016年8月21日日曜日、はじめての桂浜のあとはバスで高松
さすがに昨夜は食べ過ぎた飲み過ぎた、と反省しつつ目を覚ますとまだ6時。恒例飲み過ぎの早朝覚醒。なんとなくテレビをつけるとリオデジャネイロ五輪のサッカー決勝をライブで中継しててそのまま見入ってしまいました。ドイツvs地元ブラジルの好カード、1−1でPK戦に持ち込まれると絵に描いたような展開でネイマールの一蹴りで金メダル確定へ。こりゃブラジルは盛り上がったろうなあ。雨のブラジルGPを5速ギアだけで制した在りし日のセナ号泣を思い出させたネイマールでした。
ホテルの朝食の後は荷物を預けて路線バスにのって桂浜へ。人生5回目の高知ですがまだここへは来たことがなかったのです。田舎道を走ること30分、突然目の前に太平洋が広がった時にはバスに乗っていた観光客から思わぬ歓声が漏れてました。下車して猛暑の駐車場を抜けるとどこか遠い南国のような砂浜と白波、そしてなぜか水族館。浜を歩いていると警備員が「今日は波浪注意報が出ているため水際に近付かないでください」と呼びかけています。でもおかげで岩にぶつかる豪快な白波を堪能することができました。竜王神社の横から出ている遊歩道をぜぇぜぇ駆け上がると龍馬記念館。涼みがてら入ってみましたが、展示内容は当時の手紙などが多く、前回訪れた街なかの「龍馬の生まれたまち記念館」の方が充実してた気がします。でもまあしばし休めました。実のところ司馬遼太郎の作品って全然読んだことがないし、大河ドラマも見てないし、あえていえばラーメン屋で全巻読んだ武田鉄矢原作の漫画くらいしか知識がないのですけど、体制が大きく変わる時期に生きた若者たち、老人たち、そして庶民の物語は興味深いなと思います。
13時発のバスではりまや橋に戻り、勝手知ったる電車通りをあるいて今回で3度めとなる昼飲み居酒屋「葉牡丹」へ突撃。カウンターへ案内され、ビールを頼むとすっかり顔なじみの美魔女店員さんからジョッキが渡され、隣にすわっている見知らぬオヤジから「ではおつかれさん、乾杯、ようこそ高知へ」といきなりの展開へ。あら、やっぱり地元じゃないってすぐ分かりますか?と尋ねると「いや毎日来てるんでね」と赤シャツ氏。熊本からなんです、という流れから地震の話、息子さんが住んでいる福岡の話、ここで知り合った全国各地に住む友人たちとの交流の話など急加速で盛り上がり、気がつけば料理やビールをガンガン奢ってもらってて美魔女さんをはじめ常連客たちともわぁわぁ盛り上がってて、今回で高知に来ることもないと思ってたけどこりゃまた来なきゃね、と良い気分になったのでした。
駅までふらふら歩いてバスセンターから高松行きに乗り、ほとんど無意識の2時間10分後には香川県高松市に到着。夕日が美しい市街地を歩いて今宵の宿にチェックイン、11Fの大浴場で旅の疲れを落とすとお腹が空いてきたので外出。日曜日の夜ということで閉まっている店の多いライオン通りでしたがGoogle Mapおすすめの「宗家川福本店」まで歩き、ちょこっとだけ並んだあと570円のざるうどんを食べるとうわさ通りの美味でした。さすがにもうビールを飲む気にもなれずホテルに向かって歩いていると天下一品の前でたたずむ若い外国人カップルと目が合いまして「ねぇ、このあたりでどこかうどん屋さん知ってる?」と聞かれたので「まずここはラーメン屋さんであってうどんとは全く違う食べ物が提供されます。今僕がたべてきた川福はここから200mくらい歩くけどざるうどんがオススメよ」と偉そうに教えてあげました。iPhone持ってるというのでGoogle Mapで検索し、チェック入れてあげたからたぶん迷わず行けたと思う。後で考えたら鶴丸の方がよかったかも(分かれてて歩いてたら近くに見つけたのでそう思った)。
ホテルに戻ると1階レストランで「夜鳴きそば無料サービス」の立て看が。いかんいかんと思いつつ吸い寄せられてしまい美味しい醤油ラーメンで締めてしまいました。もういちど大浴場に入り、さて明日は徳島だ。
<今週読んだ本>
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- Kindleアンリミテッドを使って来月福岡のIT講演でお話する内容のネタ仕込みに。いくつかヒントを得た。
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- 地元紙の日曜書評欄で知りAmazonに注文、出張先で読んだ。高度成長期のものづくり日本を引っ張ったプロジェクトX的な逸話だと思った。共創とはいかにも日本らしい考え方だし、当時はそんな発想こそが人々の生活を変える近道だったのだと思う。反面、100歳を超える老人が語る理想の自分史、という感じがしなくもない。本当にアフリカの民族衣装は彼のアイディアだったのかとかジョブズは佐々木氏のアドバイスでゲイツと組んだのだろうかとか。今日本の経営者やサラリーマンが読んで具体的に参考になることはたぶんないと思うのだけど、すっかり落ち目扱いされてるシャープがまたいつの日か世界の最先端に返り咲くことだってきっとあるだろう、そのために必要なこと、不必要なことってなんだろうとか考えるには良い題材なんだと思う。
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- これも熊本日日新聞の書評で知り注文。星子市長、とは彼の市長時代は八代市民だった僕も当時良く耳にした地元の有名人だった。だからこうして彼の満州時代や家族友人関係(奥さんが甘粕氏の妹だとか、近所に住んでた友人が元椛島知事の実家だったとか)を知るとまたまったく新しい観点から見直すことができたと思う。満州国やシベリア抑留について昨年いくつかの書物を手にしたけどこうして一人の人間を軸にして追いかけるとそれらの知識に具体性が増す感覚が得られ、貴重な読書体験となった。それにしてもナショナリストっていったい何なのだろう。現代で言うそれと明治期、戦争期のそれとはまったく違うものに思えてきた。新しい本なので先日の熊本地震にまで言及してて、復旧したら沼山津の横井小楠記念館にも行きたいなと思った。
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- 松山の明屋書店本店で平積みになっていた文庫本。深夜特急の沢木耕太郎がスナップ写真とともに短いエッセイを書いているのだけど、これってどこかで読んだ気がするんだよなあとずっと引っかかっていた。そうだ成田空港の長い廊下に並んでいる「ナリタリスト」のポスターだ。あのポスターの作者たちもきっと沢木さんの影響を受けてるに違いない、と確信した。またいつか見知らぬ国を予定なく旅してみたいものだ。
Takaaki Awazu
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